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私とライフセービング

Vol.25 – 白井勇喜 / Yuki SHIRAI

2021.04.27 (Tue)

大学受験を迎える高校3年生の夏、先生から「何かボランティア活動をしたらどうですか?」と言われ私のライフセービングは始まりました。
地元の神奈川県平塚市では、湘南ベルマーレひらつかビーチパークという年間通して活動できる施設が浜に隣接しています。ビーチパークではビーチスポーツが盛んでビーチバレー、ビーチサッカーを中心に色々なスポーツが体験できる施設です。そんな施設でレンタルボールの管理やビーチクリーン、ゴミの分別等がメインの活動内容でした。

ビーチセンターには管理事務所以外に、2階にはライフセーバー待機所もあり日頃からトレーニングしているライフセーバーの方々がパトロールをしていました。いつか私も同じパトロールユニフォームに袖を通しパトロールに参加したいと思っていました。そんな時にビーチセンター管理の伏黒さん(現在副クラブ長)から「ライフセービングもボランティア活動だから一緒にやってみませんか?」と言われ高校3年生で初めてライフセービングを体験しました。ビーチパークのボランティア活動を選択したのも、元々海が大好きで当時からボディーボードやダイビング、海の家のバイトなどをしており、海を色々な角度から見てみたいという気持ちがあったからです。
大学では国士舘大学に入学し、ライフセービングクラブにも入部しました。
そんな中、大学2年生の時に学生委員会を知りメンバーに入りました。

学生委員会では、日本協会の色々な事業に関わっていました。インカレの運営を始め、年間を通じて事業の企画運営を行っていました。リーダーズキャンプや新入生プログラムもその一つです。学生委員会の3年間は私にとってライフセービングを深める非常に大切な時間だったと思います。事務局の方をはじめ協会理事の方と多くの時間を共有していただき現在の私があると思っています。
また、学生委員会で一緒に盛り上げていた仲間たちは今でもライフセービングに関わっており、スポーツ副本部長の青木さんも同じ学生委員会の同期メンバーでした。その当時、学生委員会では強化指定選手(現在のHPT)が多く所属していて私もその1人でした。私も全豪選手権に派遣していただき競技者としてビーチフラッグスに出場してきました。オーストラリは老若男女数多くのライフセーバーが参加しておりました。またその中で非常に印象に残っていたのは70〜80代のライフセーバーがライフセービングスポーツを全力で楽しんでいる姿でした。日本もそのような光景が見れるようにライフセービング活動を継続していきたいと思います。

社会人では、神奈川県ライフセービング協会では理事を拝命し県内のライフセービングの現状を把握し改善出来るよう活動を行いました。また、競技者としてもマスターズに出場しました。おじいさんになっても現役でパトロールユニフォームを着て、一緒に海辺の事故0を目標に生涯頑張っていきたいと思っています。
是非、一緒にライフセービング活動をしましょう。
「強くなれば強くなるほど人に優しくなれる」

白井勇喜
Yuki SHIRAI

公益財団法人 日本ライフセービング協会
学生本部 本部長
湘南ひらつかライフセービングクラブ 副クラブ長/チームディレクター

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