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私とライフセービング

Vol.27 – 工藤孝志 / Takashi KUDO

2021.05.10 (Mon)

ライフセービングとの出会いは「辻堂海浜公園プール」で始めた監視員のアルバイトでした。このアルバイトに就いたことで、赤十字社やライフセービングに関わる人達との出会いが生まれ、今の自分があります。

ライフセービングという言葉を聞いた事もなかった、今から46年前の1975年夏、大学生だった私は、当時住んでいた藤沢市の海辺に開設されたプールの監視員に応募しました。自宅から100mの距離にプールがあったこと、高校時代水泳部に所属していたのでプールで楽しくアルバイトできるのではなどの単純な理由でしたが、前述の通りこのアルバイトでその後の人生が決まることになるとは思いもしませんでした。

このプールは前年に発生した溺水事故を契機に、安全管理の強化として「赤十字水上安全法指導員資格」を持つ人達をプールの安全管理に迎え、当時はどこのプールでも行っていなかった監視員の教育や来場者へのPRも兼ねて、昼休みの休憩時間に溺者救助のデモンストレーションや営業終了後に救助のトレーニングを行っていたプールでした。

また、この場所は日本赤十字社水上安全法の基礎を築いた小森栄一先生(元日本赤十字社安全課長:故人)や吉田一心氏(元日赤職員・’87年PADIカレッジジャパン校長)、初代JLA会長の金子邦親氏(故人)、国際室委員の相沢千春氏、ライフメンバーの相沢重雄氏や田中裕氏(故人)をはじめ、自身が影響を受けた人達との出会いの場でもありました。

このプールは監視員の資格取得に力を入れており、「水上安全法救助員」資格を取得すれば日給が500円上がるという話を聞き、アルバイト代を上げることだけを目的に翌年片瀬西浜の水上安全法講習会(当時江ノ島水安と呼ばれていました)に参加しました。プールで練習はしていたものの、開催時期が6月第2週で梅雨の真っただ中、20度を下回る水温、はるか沖にいる溺者役のバディーを救助してくる練習(俗に一連動作と呼ばれていました)の繰り返しなど、体力的にも精神的にもきつい5日間でしたが、プールで出会った前述の金子邦親氏をはじめとした指導員から、溺死者をなくしたいという使命感に燃えた指導を受け、受講後その姿に憧れ1976年に指導員養成講習を受講し、翌1977年から片瀬西浜の水安講習にボランティア指導員として参加を始めました。

大学4年の夏、監視のアルバイト中に高校生がプール前の海岸で溺れたという連絡が入り、急いでレスキューチューブを持ってプールから海に向かいましたが、波も荒く流れも速くその日は発見には至りませんでした。後日、茅ケ崎海岸で発見された死亡が確認されましたが、直前に教育実習に通っていた高校の生徒だったことが新聞報道でわかり、とても残念だった事を覚えています。

そんな体験もあり、体育の教員やスポーツの指導者を輩出している母校で水上安全法講習開催の必要性を感じ、大学の最終年にゼミの担当だった教授にお願いして、横浜に完成したばかりの母校のプールで大学として、初めて水上安全法講習会の開催に漕ぎつけることができました。開催に理解を示し、協力いただいた教授はその後大学に設立されるライフセービングクラブの顧問となり、始めた講習会は40年以上経った現在も後輩達が継続してくれています。指導員資格取得がきっかけとなり、1980年に日本赤十字社神奈川県支部に就職し、災害対応や講習普及を担当する部署に配属され、それから数年後ライフセービングと関係をより深めることになる二つの出来事を経験することになりました。それは、日本国内にライフセービングが浸透していくきっかけとなった豪日交流基金によるSLSAと日本赤十字社との交流、もう一つはSURF90(相模湾アーバンリゾートフェスティバル)に赤十字社が事業協力したことでした。

~ライフセービング交流事業~
就職から3年後の1983年に日赤本社が豪日交流基金からライフセービングの交流事業の打診を受けました。海を会場とした講習会が盛んだった神奈川県支部並びに東京都支部から、指導員資格を持つ職員と神奈川県支部に所属するライフガード経験者や現役のライフガードであるボランティア指導員を中心にメンバーが編成され、その一員として12月24日から翌年1月10日まで、SLSA(当時はSLSAofA)協力の基、シドニーのノース・クナラSLSCでブロンズメダルと心肺蘇生の研修を受け、海外のライフセービングのシステムや教育プログラムを知りました。

特に印象的だったことが、学生時代に監視員をしていた頃はアルバイトといえども監視員(ライフガード)はプロ意識を持って仕事をすべきで、そのためには救助技術を持つ人間が行わなければならないと思っていましたが、プロのライフガードだけではなくライフセービングクラブという地域のボランティア活動を組み合わせることで、水の安全をより一層高めると共に、障害を持ち車いすで無線を行うメンバーやIRBのメンテナンスを中心に活動するメンバーなど、誰もがライフセーバーとして参加でき、さらに子供たちの教育の場でもあるという広がりのある活動がオーストラリアでは行われていました。もう一つは環境面で、ビーチで遊ぶ人々は危険なカレントを外してビーチに立てたフラッグとフラッグの間で遊泳し、ビーチの安全を平日はライフガードが、土日はサーフライフセービングクラブのライフセーバーが守り溺水事故を未然に防いでおり、ビーチでの溺死者は近年一人もいないという事でした。

当時、神奈川県では先駆的に監視員が自らの意思で救助員資格や指導員資格を取得し、訓練や大会を行って意識の向上を図るなど溺水事故の防止に努めていましたが、海水浴場開設期間は海の家があるためビーチをフラッグで区切ってしまうことは難しく、交流事業の参加メンバーの一人だった鎌倉由比ガ浜の警備長(水上安全法ボランティア指導員で当時大学生:故人)が「日本では海の家があるから無理だけど、オーストラリアと同じことができたら、溺死者は一人も出ない」と言っていた言葉を今でも思い出します。

研修を終了し帰国後直ちに、今では当たり前のように使われているレスキューボードをオーストラリアから急遽輸入したこと、(株)アキレスと一緒にIRBを苦労して制作したことは懐かしい思い出です。また、交流事業参加後に水上安全法教本の作成委員として、レスキューボードを取り入れるなど新たな水上安全法の普及に関わることができました。この交流は2回目以降赤十字から日本ライフセービング評議会に引き継がれましたが、葉山ライフセービングクラブでの活動やライフセービング大会への参加など、頻度は少ないながらも個人的にライフセービングに関わり現在に至っています。

 

~SURF90(相模湾アーバンリゾートフェスティバル)~
1990年に神奈川県が実施した、相模湾アーバンリゾートフェスティバル(SURF90)というイベントの一つのライフセービング事業を日本赤十字社神奈川県支部が担当することになり、日本ライフセービング評議会に協力いただき、マニュアルやテキストの作成、片瀬西浜海岸でライフセーバーへの研修やライフセービング活動を担当したほか、同年平塚市で行われた国内最初の国際大会である「パンパシフィック・ライフセービング大会」の運営に携わりました。また、ドイツで開催された「第5回ライフセービング世界大会」に帯同しスポーツとしてのライフセービングを目の当たりにする機会となりました。1990年以降ライフセービングという言葉は一般的になっていきましたが、自分が所属している赤十字のフィールドでライフセービングとどう関わっていくかを考え続けてきました。私にとって「ライフセービング」とは、生命尊重の精神に基づく活動で、水の事故に限らず人間のいのちを守るための活動であると思っています。

私が所属している赤十字社は「人道」(人間のいのちと健康、尊厳を守るため、苦痛の予防と軽減に努めます)をはじめとする諸原則に基づく活動をおこなっていますが、この原則を具現化するための一つの方策として「救急法」や「水上安全法」などの講習があり、現在まで赤十字運動の中で講習普及を通じて「ライフセービング」に取り組んできました。そして、その活動を広げるためには消防・警察・海保・JLA・日赤など、それぞれの団体がそれぞれの立場で、あるいは協働して「いのちの大切さ」を伝えていけば、国内全体で死亡事故を減らす事ができるのではないかと考えてきました。

 

2018年3月日本赤十字社を定年退職しましたが、その頃から年齢に加え今までの無理が祟ったのか両膝に痛みが出てしまい、走れなくなると共に階段を降りることや長い距離を歩くことがつらい状況にありますが、オーストラリアの研修で知った「ライフセービングは誰もが参加できる活動である」ことを再認識し、体をいたわりながら無理せずライフセービングに関わっていきたいと考えています。

 

工藤孝志
Takashi KUDO

日本体育大学体育学部体育学科卒業

日本赤十字社(2021年3月末まで)

【所属先でのライフセービングに関係する活動】

1983年12月 豪日交流基金による第1回ライフセービング交流事業参加

1997年~1998年 赤十字水上安全法作成委員会委員

2015年 日本蘇生協議会 JRC蘇生ガイドライン2015 FA作業部会員

 

【ライフセービング歴】

辻堂海浜公園プールで活動 1974~1979

元 葉山ライフセービングクラブ所属

 

【取得資格】

1984年 サーフライフセービングオーストラリア ブロンズメダリオン

1984年 サーフライフセービングオーストラリア アドバンスレサシテーション

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