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私とライフセービング

Vol.36 – 久保亮介/ Ryosuke KUBO

2021.11.12 (Fri)

『私とライフセービング』

 

私は今、神奈川県ライフセービング協会の委員として、ライフセービング活動に携わっています。ライフセービングとの出会いは2007年、神奈川県の実家を離れ、静岡県にある東海大学海洋学部に入学、ライフセービングクラブLOCOの説明会へ友達に誘われて参加したことから始まります。

 

 

本当に面白く、海に熱い先輩たちがキラキラして見えて、『とにかく楽しい、やりがいのある活動』と説明会での熱いプレゼン、その後に見た動画『あなたは愛する人を救えますか?』の言葉に射抜かれ入部を決めました。入部後すぐの新歓合宿では初めての下田へ。

レクリエーションが多くあった中、パトロールのシミュレーションがあり、それまで面白い面しか見ていなかった先輩達の初めて見る赤と黄色のユニフォーム姿、特に覚えている景色はその日の夜シミュレーション反省会。4年生の先輩に喝を入れられている2年の先輩の姿に、この活動をもっと深く知りたいと、のめり込んで行きました。

 

 

当時、クラブは神奈川県の西浜、静岡県の相良、榛原、用宗、沼津、御浜の計6つのチームに分かれていました。それぞれ本当に個性豊かな特徴があり、魅力があり迷った浜選び。

第1から第6希望まで紙に書いて投票、後は先輩たちが時間をかけて話し合い、20名ほどの同期がそれぞれの浜へ。もしあの時に違う浜に選ばれていたら今どのように海と携わっていたのか、サーファーになっていた?ライフセービングを続けていなかった? あの時、浜を選んでくれた先輩たちに感謝したいと今改めて思います。

 

 

4年間、教室から外を見れば駿河湾が広がり、対岸には伊豆半島。授業の前・合間・放課後いくらでも海に入れる環境。ウインドサーフィンやカヌーの授業もあり、海辺で過ごす時間が本当に多く、ライフセービングがあったから海に入っていたというより、海に入る生活の中にライフセービングで学ぶスキルや知識が自然と身についていったという感じ。

そんなオーシャンライフを過ごしながら、波乗りやダイビングに走らず、自身の中でライフセービングの存在が大きくなったのは当時の『学生委員会』この活動があったからです。

 

 

JLAの一部門として全国の大学クラブから学生が集まり、月に一度、神奈川や東京の大学で定例会を開き打ち合わせをする。当時進めていたのは[インカレ][高校生プログラム][リーダーズキャンプ]といった活動の企画運営で、私が所属していた3年間の間に初めて[高校生競技会]と第1回[プールインカレ]が開催されました。この頃の高校生は後に日本代表、世界大会と道を歩んでいくのですが、そうなれたのはこのイベントの賜物だと忘れさせる訳にはいきません。(この業界は狭く深い体育会系な面があり、いつまでも先輩、後輩という関係は良くも悪くも魅力だと感じています。)

学生委員会で出会った素晴らしい仲間と、自身一学生ライフセーバーでありながら、全国のライフセーバーに向けて、当時仕事をすることができたこと誇りに思っています。

 

 

今は、仕事・家庭とのバランスを考える中で、神奈川県協会の仕事のお手伝いをさせてもらっています。ライフセービングと出会って14年。目指したい先輩の姿があり、やらないといけないこともある気がしています。

 

現在、社会全体が不安定な日々の中、財産となるはずだった経験を得る機会を奪われてしまっている状況かと思います。そのような中でも、一人ひとりが長くこの活動に携わりたいと思えるような環境作りを微力ながら進め、今後もライフセーバーを応援していきます。


今でも年末年始の海は欠かしません。(2020年の12月31日茅ヶ崎にて)

 


2015年AUSSIES 100th(第100回全豪選手権に出場する為にオーストラリアへ)

 


ジェイミーミッチェルとジョーダンマーサーと。

 


日本への帰国時は同期の彼と


オーシャンマンにエントリーしていた頃、同時期にレースに出ていた選手達。


当時大学生だった私たちが、高校生へライフセービング体験の場をプロデュース。

 

久保亮介
Ryosuke KUBO

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