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私とライフセービング

Vol.39 – 名取芳和/ Yoshikazu NATORI

2021.12.09 (Thu)

“水族館の飼育員になる!”
これが子どもの頃の夢でした。
水族館=三保の水族館 というのは私の中では絶対的な方程式。
今となっては古めかしい大水槽ですが、優雅に泳ぐエイやマグロたちを飽きもせずずっと眺めながら、ここで働きたいなぁと思っていた事を思い出します。

相良町(現在の牧之原市)で生まれ育った私にとって、海で遊ぶことは日常でした。泳いだり、生き物探しをしたり、釣りをしたり、時には灯台がある防波堤から飛び込んで漁師のおっちゃんにどん叱られたり・・・(笑)。

1991年4月、東海大学海洋学部に入学。
東海大学海洋学部は静岡県清水市(現静岡市清水区)にあります。しかし東海大学の学部の多くは湘南校舎にあり、入学式は湘南校舎で行われるため、海洋学部生は何台かの観光バスで湘南校舎に向かいます。

そのバスの中で私の大学生活・・・、いやその後の人生に大きな影響を与える人物との出会いが待っているとはこの時は予想だにしていませんでした。

その人物とは。。。
当時大学2年生だったマッハさん、現JLA副理事長の高野絵美さんです(ずっとマッハさんと呼んでいますので、ここでもそう呼ばせてください)。私が乗ったバスに添乗員として同行してくれていた先輩学生がマッハさんだったのです。

誰に対しても分け隔てなく接してくれる、そして聞いている人の心を掴む話し方に長けていて、東京生まれ東京育ち。大学入りたての田舎もんの私にはとても魅力的な大人の女性に見えました。

『ライフセービング』という言葉は、この時マッハさんから伺ったのが最初だったと記憶しています。その時はまだライフセービングという言葉は一般的ではなく、正直言うと全くピンときていませんでしたが(笑)、マッハさんの人間性に一目惚れしたことが私のライフセービング活動の入口であるといっても過言ではありません。

東海大学清水校舎ライフセービングクラブLOCOに入部。
たまたま相良サンビーチでの監視活動がスタートする年で、相良町出身の私なら何かと役に立つだろう・・・という理由だけ(推測ですw)で相良サンビーチに配属されることに。

当時のLOCO主将であり、相良SLSC初代チーフのS原さんにも強く影響を受けました。大学1年生から見る3年生は、年の差以上に偉大に感じました。LS活動上のどんな質問にも的確な回答をしてくれる頼もしい存在で、今でも「S原さんならこうするだろうな」と考えるほどです。

二代目チーフ、現相良SLSC代表のF島さんも大きな存在です。
いつも笑顔で朗らかな性格が身体中からあふれ出ているF島さんがいてくれるからこそ、相良SLSCが30年間存続出来てきたといってもいいでしょう。そして私のLSスキルのベースはF島チーフ時代に培われたものだと確信しています。

そしてもう一人、私のLS活動上、外す事のできない人物がいます。

LOCO、及び相良SLSC同期であり、楽しくも大変だった夏に同じ釜の飯を食い、同じ時間を共に過ごした戦友、現JLA常務理事、救助救命本部長の石川仁憲さんです。

1992年、私の2年目の夏はいくつもの台風が日本列島のはるか南を通過していく・・・という夏でした。これが何を意味するのかLSの皆さんならご理解いただけますよね。

快晴でビーチは人だらけ、だけど海は大爆発。。。
そんな大変な夏でした。

2mをはるかに超える波、相良サンビーチ特有の多方向からの濁流、強烈な離岸流。

そんな中、あっという間に沖に流されるカップルをチューブレスキューに向かいました。カレントから脱出することもできず、一向に戻れる気配はない。最悪な状況が頭をよぎる。

諦めかけたその時、目の前に石川さんの顔が・・・。「あぁ助かったぁ!」 その時の安堵感、心強さは生涯忘れることのできない経験です。

1993年、3年目の夏は梅雨明け宣言もされないという記録的な冷夏。その年、相良サンビーチにIRBが導入され、私はIRB長を任せられました。

石川さんの指示のもと、何度となくIRBを出艇、安全移送を繰り返した3年目の夏。

懐かしく、大切な思い出であり、現在もIRBに携わっていたいと思えるターニングポイントだった気がします。

それから四半世紀。。。
東京オリンピック・パラリンピック海の森水上競技場での救護監視活動において、久しぶりに石川さんの指示のもとで活動できる大きな機会が訪れ、オリパラ戦略室の委員として活動に携わることが出来たことやその活動によってチーフディレクターの菊地太さんをはじめ多くの皆さんと出会えたこと(諸般の事情で現場には行けませんでしたが)は、あのバスの中でのマッハさんとの出会いから始まる、奇跡の巡り合わせによるものだと深く感謝いたします。

私が誰かに影響を与える事が出来てきたのか…は疑問ですが、今後も細く長くこの活動に携わっていけることを願い、また今後の新しい出会いに期待しています。

どこかで見かけた際には、お気軽にお声がけいただけますと光栄です。

名取芳和
Yoshikazu NATORI

相良サーフライフセービングクラブ 所属
東海大学清水校舎ライフセービングクラブLOCO OB
東京オリパラ戦略室

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