私が大学1年の時の4年生である入谷理事長よりコラムを書いてみないか?とメッセージをもらった時の率直な気持ちは「え??」「自分が??」でした…。正直なところ、今まで知っている方の記事以外、読んでもいませんでした…。
しかし、コラムの目的が「自分の体験や過去を紹介して、ライフセービングに興味をもってもらうきっかけ」であることを教えて頂き、ならば!と引受けさせて頂きました。
私自身もその一人ですが、大学(ライフセービングクラブ)卒業後、何年も、何十年も海やプールでライフガードに入っていない…。そもそも、運動(トレーニング)もしていないし、水着も着ていない、なんなら持ってもいない…。私と同じような方も多いのではないでしょうか?
けど、ライフセービングに関わった方の多くが、ライフセービング活動時代の仲間と今でも繋がりがある!連絡は取っている!ライフセービング活動時代の思い出はいつも心の中にある!ユニフォームやパトロールキャップも今でも大切に保管している!という方、いませんか?私もその一人でした(笑)
今回お伝えさせて頂くのは、「私のライフセービング復帰のきっかけ」について、お伝えしたいと思います。どうぞ、最後までお付き合い頂ければ幸いです。
<ライフセービングを始めたきっかけ>
二つあります。
一つは姉(日体大水泳部)の存在。2つ上の姉は小学生から大学卒業まで常に日本のトップスイマーであり、テレビや新聞・雑誌に写真や名前が掲載されるような選手でした。羨ましくもあり、悔しくもありました。何でもいいから一番を目指して頑張りなさい!という両親の教えもあり、大きな挫折を味わった高校在学時、日体大の推薦試験において、10種目体力試験で3回連続No.1(過去最高点)を取り、なんとか姉と同じ日体大へ入学できたのが一つ目の「きっかけ」です。(※日体大に入学していなければ、ライフセービングに出会っていなかったかと…)
二つ目は、日本体育大学ライフセービング部 7期 副主将 松田雅隆先輩との出会いによるものです。
松田先輩が2週間に一度通う床屋は「原理髪店」(母の実家)。松田先輩からの一言「新島へ来い!」「一緒にライフガードをやろう!」日体大への推薦入学が決まりそうな時、母も肝炎で長期入院中ということもあり、「新島」へ行けばあの人のように強くてかっこ良い男になれるのか!?がライフセービング(ライフガード)を始めた二つ目の「きっかけ」です。
1994年_新島ライフガード
<復帰のきっかけ>
これも大きく二つ。
一つ目は、高校・大学の後輩(植木将人・北矢宗志)の存在が大きい。2015年「大輔さん!もう一度、ビーチフラッグやりましょうよ!!」お腹も出始め、鏡の前に立ちたくない程、たるんだ身体になった40歳の時に二人が声を掛けてくれたのが復帰のきっかけ一つ目です。
そして、思い出が詰まった西浜での第1回「Legends of Beach Flags Japan」に参加。植木・北矢、この二人には当然の如く全く歯が立たなかったが、世代を超えてラインナップできたあのレースは最高の宝物です。また、会場では90年代に憧れ、追い続けた偉大な先輩方との再会も復帰の大きなきっかけの一つであることは言うまでもありません!
二つ目は、2021年大親友の急死。高校時代の挫折から這い上がり、大学進学を目指せたのは彼のお陰でした。「俺は高校卒業後、野球は引退して料理の世界で日本1になる!お前も日体大に入って何でもいいから日本1目指してみろよ!」の一言は今でも忘れません。
大親友の死後、何も恩返しができなかった事を悔やみ、毎日悲しみ、何も手に付かない状態でした。その時感じたことが、目の前の大切な人を守れる強さを身につける為に始めたのがライフセービング。今の自分では、大切な人を守れる強さも体力も知識もない。もう一度、資格取得だ!!直ぐに日体大ライフセービング部同期(11期三役)の松本貴之、島田貴史に相談し、復活講習を三浦海岸で受講させて頂きました。
<活動の様子>
復帰の「きっかけ」二つにより、1997全日本ライフセービング選手権大会ビーチフラッグ決勝でラインナップした先輩に神戸でお声掛け頂き、2023年の夏から淡路島でのライフセービング教室に補助指導員として参加させて頂いています。レスキューボードに乗せた時の園児の笑顔や、ニッパーボードでパドリングできた時の満面の笑みを見るだけで元気をもらいます!
2024年は25年振りにJLA公式大会である「全日本マスターズ」ビーチフラッグにもチャレンジ‼
来年50歳になる私ですが、ライフセービング復帰により、仕事以外にも目標を持てるようになれました。また、90年代に追いかけ続け、今でもリスペクトしている先輩との月1回のコツコツトレーニング、現役ライフセーバーと繋がりを持てた事、出会いには本当に感謝しています。
全日本マスターズライフセービング選手権大会2024
今は「自分の足でいつまでも」「在宅生活をいつまでも」といったコンセプトで全国に機能訓練特化型の通所介護事業所(リハビリデイサービス)を事業展開しております。
要介護高齢者の一番の望みは「一生涯現役」(いつまでも住み慣れた場所で過ごしたい)です。これからも、全国の要介護高齢者を一人でも多く『健康維持・改善』に繋げることこそ、高齢者への恩返しであり、目の前の救える命を救う(守る)ことにも繋がると信じ、仕事もライフセービング(スポーツ)も高い志をもって取り組んでいくつもりです。
最後になりますが、私のように「きっかけ」一つで目標を持つことができ、新たな出会いに繋がる事ができます。会いたいと思った人には会いに行く、声を掛けてみる。それもライフセービングだという事を、この数年改めて学びました。「人生に無駄な事はない」どんなに悔しく、悲しく、辛いことがあっても、決して無駄なことはない。これからも時間を大切に、一生涯現役ライフセーバーを目指し、感謝の気持ちと繋がりを大切に歩んでいこうと思います!!最後までお読み頂き有難う御座いました。
1994年~1997年_日本体育大学ライフセービング部OB(11期副主将)
所属:新島ライフセービングクラブ(97’羽伏浦チーフ)
取得:ベーシックサーフライフセーバー