JLA English Site

私とライフセービング

Vol.65 – 大西 安菜 / Anna OHNISHI

2025.04.07 (Mon)

福島県南相馬市で生まれ、毎年夏には祖父母と共に海に行く環境で育ちました。

高校の卒業式を終え、大学入学を待つだけだった2011年3月11日、東日本大震災が発生。未だかつて経験したことのない揺れ、そして大津波がきました。多くの命が失われ、多くの人たちが被災しました。自然の恐ろしさを身をもって体験したと同時に、地元では海から人が離れていきました。

その後、無事に国際武道大学へ入学。ライフセービングに出会いました。友達に誘われ、「やってみるか〜」という思いで入部を決めました。東日本大震災を経験した事と、幼少期に海が大好きだったからこそ、ライフセービングに何か惹かれるものがあったのかもしれません。

ライフセービングスポーツ

ライフセービングに入部し、ライフセービングスポーツであるビーチフラッグスに出会いました。先輩の誘いで楽しそうだなと思った事がきっかけです。
それからの部活動では海練習、プール練習に励み、それ以外の時間で先輩達と毎日砂浜へ行き、とにかく練習する日々を過ごしました。
初めの頃は、なかなか結果に繋がらず、泣いてばかりでしたが、共に練習していた先輩から「絶対に結果は出る、大丈夫、諦めないで頑張ろう」と沢山励ましてもらいました。練習を楽しみながら、途中で投げ出さず努力出来たのも、一緒に練習してくれた勝浦のメンバー達のおかげだったと思います。

またライフセービングスポーツを通して、多くの仲間達と出会いました。クラブが違っても、年齢が違っても、フィールドが違っても、応援し合える、高め合える、素晴らしい仲間達を、これからも大切にしていきたいです。

学生時代も、社会人になってからも沢山の人に応援して頂き、ビーチフラッグスは、いつまでも続けていきたいスポーツであると実感しています。

大会では遊佐雅美さん、藤原梢さんという偉大な先輩方との出会いが、私にとってライフセービングを続けていく理由になりました。
偉大なお二人の背中を長い間追い続けてきました。藤原梢さんとは2度一緒に世界大会へ行き、沢山のことを教わりました。これから先もずっとお二人は変わらず私にとっての目標です。

大学2年生から日本代表に選出していただき、国際大会や2014年、2016年、2018年3度の世界選手権にも出場。
日本の大会では、味わえない喜びや悔しさを経験しました。

ライフセービングスポーツであるビーチフラッグスは私にとって、今までもこれからも、なくてはならない存在です。

ジュニアユース活動

学生時代から所属している勝浦LSCでのジュニア活動も長年経験させて頂きました。子供達へ教え伝える事の難しさや、結果を出すための練習方法など考えたり、悩んだりする事もありましたが、共に指導してくれた仲間達や、なにより長い間付いてきてくれた子供達の成長を見られた事が、私の人生にとってかけがえのない宝物となりました。
大学生の時に初めて関わった子供達が、社会人や高校卒業の年齢になり、今では共にライフセーバーとして活動したり、また大切な親友のような存在にもなりました。ライフセービングを通じて沢山の出会いが出来た事も、このライフセービングの醍醐味だなと感じます。

これからも自分が経験してきた事を、未来のライフセーバーキッズ達の為に使っていきたいと思います。

監視活動

震災後、海から人が離れつつあった地元の海でも、いつか監視活動ができれば良いなと思うようになりました。
地元福島県では関東とは違い、まだまだライフセーバーが海水浴場に常駐する環境ではありませんでした。
しかし、社会人になってから福島県にもライフセービング協会が立ち上がり、いわき市での監視活動やジュニア活動に参加させて頂き、昨年の夏には地元相馬市での監視活動の夢も叶いました。
ライフセーバーとして、これからもゆかりある千葉県、福島県を中心に活動し続けていきたいなと思っています。

人生を大きくかえてくれたライフセービング。
これから年を重ねても生涯続けていきたい活動です。

大西 安菜
Anna OHNISHI

福島県南相馬市出身
国際武道大学卒業

勝浦ライフセービングクラブ/館山サーフクラブ 所属

皆さまからのご支援が
水辺の事故ゼロへつながります

皆さまからのご寄付はWater Safety教育の普及事業などに活用します