毎年、夏の訪れと共に、私たち家族は伊豆の海へと足を運びました。砂浜でのひととき、太陽の光、そして波の音。しかし、その美しい景色の中で、必ずと言っていいほど娘が怪我をし、ライフセーバーの詰所で応急手当を受けるのが恒例となっていました。ライフセーバーと聞けば、ただ夏のビーチにいる存在というイメージしか持っていませんでした。
ある日、友人からアクアスロン大会への誘いがありました。種目はショートコース、500mのスイムと5キロのラン。海で泳ぐ距離としては、500mならなんとかなるかもしれない。そう思ってプールでの練習を始めました。しかし、大会当日、波浪注意報が出そうな状況で、コースは沖の三つのブイを回る設定だと説明を受けたが、実際に海に出てみると、プールの感覚とは全く違い、ブイは遥か遠くに見え、不安が押し寄せてきました。万が一の時はライフセーバーのボードに掴まれば良いという言葉を思い出し、周囲を見渡すも近くにライフセーバーの姿は見えず、仕方なく必死に泳ぎ続け、陸にたどり着きました。その瞬間、ライフセーバーの活動がいかに重要かを痛感しました。

この経験が、私の人生の転機となったような気がします。海のことを何も知らずに大会に臨んでいた無謀さ、そして、今後も大会に参加するなら、海を知る必要があることを痛感しライフセービング協会が開催するウォーターセーフティー講習会に参加しました。講習会の最後には、ベーシックサーフライフセーバー講習会の案内がありました。46歳の私には挑戦するには年齢的な不安もありましたが、講習会に参加して、ついに、私はライフセーバーとなりました。
愛知ライフセービングクラブに所属し活動を始めると、活動は幅広く、夏のビーチ監視、大会ガード、そして夏が終われば競技会。クラブのメンバーは高校生から社会人まで、年齢も立場も様々だが、皆が優しく協力的で、活動が続けられる原動力となっています。

多くの活動の中でも、愛知県の海水浴場で行われたライフセービング競技会にスタッフとして参加した時、初めて競技を間近で見ました。選手たちの鍛え上げられた肉体、スピード、技術。年齢的に選手として参加するのは難しいと感じたものの、オフィシャルとしてなら貢献できるかもしれないと思い審判員講習会を受講し、その道を歩むことにしました。自分にとってオフィシャルの魅力は、選手の競技を間近で見られることだけではなく、他の地域のライフセーバーと交流し、全国に仲間ができたことです。

その後も、プールライフガーディング、アドバンスサーフライフセーバー、IRBクルーの資格を取り、活動の幅を少しずつ広げております。
さらに、毎年年末にはクラブメンバー有志で煩悩スイムを実施しています。この行事は、煩悩を払うために108本泳ぐというイベントで、初めて行ったときはわずか4人でしたが、今では30人ものメンバーが集まり、一緒に泳ぎながら一年の締めくくりをし、絆を深める機会となっています。

現在は、平日は仕事と労働組合の役員としての活動を両立しながら、週末には海水浴場のガードや大会ガード、シーズンオフにはライフセービングクラブの練習会に参加しています。年間を通して、週に1〜2回はプールで泳ぎ、体力の維持に努めています。クラブメンバーの大学生と一緒に泳ぎに行くこともあり、世代を超えて交流できることがモチベーションにもつながっています。ライフセービング以外にも、中学時代から続けている吹奏楽では、今も年に2回ほど演奏会に出演しています。映画やドラマ鑑賞、特にマーベルやスター・ウォーズ、そして妻と一緒に観る韓国ドラマも楽しみのひとつです。
仕事、家庭、趣味、そしてライフセービング。さまざまなことを両立しながら活動を続けていくのは決して楽なことではありませんが、そんな中でも人とのつながりが日々の充実感や安心感につながっています。共に汗を流し、笑い合える仲間がいることが、活動をより意義あるものにしてくれていると感じています。
「ライフセービング」は、多様な活動があり、誰にでも合った活動が見つかると確信しています。そして「水辺の事故ゼロ」を目指し、これからもこの活動を続けていきたいと強く思います。
1970年生まれ
愛知ライフセービングクラブ所属
習得
アドバンスサーフライフセーバー
アドバンスプールライフガード
IRBクルー
B級審判員