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私とライフセービング

Vol.78 – 菊地 快 / Kai KIKUCHI

2025.07.18 (Fri)

ライフセービングを始めたきっかけ

3歳から釣り好きの父について回り、釣りにはまる。幼少期は東日本震災で大きな被害を受けた岩手県大船渡市で育ち、休日は磯遊びや海釣りに没頭し、豊かな三陸の海と身近に生活していた。「海猿」のドラマがやっていた頃と言えば分かる人はわかるだろう。

忘れもしない高校3年の夏。私は朝マズメを狙って友人と地磯で釣りをしていた。海況は凪だったがお化け波が突然我々を襲った。磯の先端でキャストをしていた友人が波を被り、薄暗い海に引きずり込まれた。泳げるのは私だけだったのでロープで体を縛り、片手には空のクーラーボックスを持って飛び込んで救助に向かうも、あと5m程のところで沈みロストしてしまった。そして人生初の「118」へ通報。海保のヘリが来たのは通報から40分後。私が救助に向かって助けられなかった初めて感じた「死」だった。

翌年、首都圏での生活に憧れ岩手を離れて、神奈川大学に入学した。新勧で「ライフセービング」という文字が目に入り、大学では新しいことに挑戦したいと思っていたのでブースで話を聞いてみた。先輩から「人の命を救える活動って素敵じゃない?」と言われて、こんな活動ができるなら、自分のように海で悲しい思いをする人を減らせるかもしれない、と雷に打たれたような衝撃を受けた。これだ!と。これが私とライフセービングの出会いである。

逗子SLSCとの出逢い

ライフセービングを始めると決めてからはWS,BLS、Basicと資格を取り、所属する浜を決めるにあたりいろいろな浜に体験に行った。今年から逗子がクラブを設立するという話があり、田舎者でも聞いたことのある逗子というネームバリューと、開拓の可能性に惹かれて逗子を選んだ。
志を同じくする同期が年齢は様々だが7名集まった。これが現逗子SLSC1期生である。当時の逗子海岸は「パリピの聖地」みたいな感じで、飲酒・喫煙・入れ墨・音楽・喧嘩などカオスな状態だった。当時は私も血気盛んだったこともあるが、ガードに入る日は覚悟を決めて入っていた。ひと夏でユニフォームが2枚も破られる(お客さんの喧嘩の仲裁で)くらい荒れていた。終には海の家で殺人事件が起きてしまった。いま思えばよく生きていれたと思う。

翌年から「ファミリービーチを目指して、日本一ルールの厳しい海水浴場」として、再出発する。当時小学生だった現クラブ員に聞くところによると小学校では「逗子海水浴場には近づかないように!」と夏休み前に先生から注意喚起がされていたとか。
あれから12年が経ち、子供用のライフジャケットの貸出やライフセーバーと遊ぼう、逗子海岸ウォーターパークなど、誰もが安心して楽しめるファミリービーチになったし、クラブ員も150名程になった。

OWS・トライアスロンガード(イベントガード)を通して

現在、逗子SLSCでは年間15本ほど逗子以外でのガードに従事している。きっかけになったのは幸か不幸か?逗子でガードを始めてすぐに茅ケ崎の小川さん率いるTEAM PEGASUSのメンバーとしても活動させて頂くことになったからである。初対面の時に「7時に鎌倉駅集合」と聞いて6時半に行ったらみんな集合してて「おっせぇぇええ!」って怒鳴られて。。。PEGASUSでは横浜世界トライアスロンや日本選手権などエリートの大会でも経験を積むことができたし、ベテラン揃いで体力は若者には劣るものの経験値と気づく早さは、ずば抜けていた。いまでも”可愛がられ”ながら多くのことを学ばせて頂いている。

大学時代、私はガードと逗子が好きで大会には本当に興味が無かった。高校時代はラグビーで全国大会にも国体にも出場していたので勝負することが嫌いではないが、ライフセービングを「水辺の事故ゼロをめざして」という志で日々活動する中で、あまりガードもしないで練習だけして大会で活躍している人が崇め奉られることに違和感を覚えていた。そしてその人達は時間の経過と共に名を聞くことも無くなる。

「持続可能なセービングとは何か?」多くの場合学生時代に資格を取って浜に所属して活動するが就職や家庭などライフステージの変化によって離れる人が多いのが現実だ。時間に追われて体力も無くなってくる社会人になっても続けられる為にはどうすればいいか?経験値を活かせることとマネタイズできる。その答えがイベントガードだった。

いっぱしの社会人が休日を返上して朝から晩まで動き、ましてや車まで出しているのに交通費しか出さない、さらには学生にご飯をおごるみたいなことを毎回していたら、当人は良くても家族がいい顔をしないのでは?ゆくゆくはそれが海から離れる一因になっているのではないか。それよりは経費は全て支払い受け取れる人にはそれなりの謝礼を払い少しでも家庭の扶助になればと思いながら見積を作成している。いまでは各クライアントの方々にもご好意にして頂いてたくさんの活動の機会を頂けている。最高で5か所60人稼働みたいな同時多発ガードがあったり充実したライフガード生活を送っている。

ガードを通じて培った『気づく力』

ガードをしてて大切なことって「気づくこと」だと思う。今日あの人元気無いな、とか。いつもより潮の流れが早いな、とか。人とか環境のことに気づけるようになるということは常にアンテナを張っていないと行けないし、変化の前に違和感に気づくことだと思う。この違和感に気づくことができても、行動に移せる人が少ない気がする。1:29:300のハインリッヒの法則でもあるように300のヒヤリハットの前に数えきれない違和感があるはずだ。その違和感に気づきアクションを起こせるライフセーバーを逗子での活動を続けながら増やしていきたいと思う。「水辺の事故ゼロをめざして」

菊地 快
Kai KIKUCHI

1994年10月27日生まれ O型
岩手県奥州市出身
神奈川県川崎市在住
経歴
2013年 神奈川大学 ライフセービングサークル入会、逗子SLSC一期生
2015年 ライフセービングサークル主将、逗子SLSC副監視長
     サークルからライフセービング部へ格上げ
2020年 逗子SLSC理事就任
2022年 逗子SLSLイベント担当兼コンプライアンス担当理事就任
    (一社)NOWS セーフティオフィサー就任
    湘南GOLDEN AGE ACADEMY コーチ
2024年 湘南OWS大会実行委員

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