ライフセービングを始めたきっかけ
私がライフセービングと出会ったのは高校1年生の時です。
小学校から中学校までサッカーをしていましたが、中学2年の秋の部活中に腰椎分離症を発症し半年以上運動ができない状況になってしまいました。
中学最後の大会には復帰はできたものの、これまでのサッカーへの熱が無くなり、新しいスポーツや経験をしたいと思うようになっていた時に西浜サーフライフセービングクラブのジュニアに所属していた中学の同級生がライフセービング体験に誘ってくれました。
その体験で海、砂浜での活動をやってみて、こんなに楽しく温かい人たちがいる場所があるのかと感動し、その一回でライフセービングを始めることを決めたのがきっかけでした。
高校1年生の最初はライフセーバーについてしっかりと認識しておらず、海で楽しく安全に活動するスポーツとしてのライフセービングから始めましたが、活動していく中で、ライフセーバーという存在を認識し、何のためにこのスポーツをしていて日常の活動をしているのかを知っていきました。
高校2年生の時には大会に出るためにも、監視活動をボランティアとして参加するためにもBLS、WS、ベーシックライフセーバーを取得しました。
ですが、基本的に高校3年間はライフセービングスポーツを中心に週4〜5日は海でボードを漕ぎ、砂浜で走って楽しんでる生活でした。
大学生以降のライフセービングでの経験
スポーツを中心にやってきたライフセービングでしたが、私は大学1年生、大学2年生と溺水対応、大学3年ではサーファーへの落雷事故など、それ以降も軽度、重度様々な経験をしてきました。
ライフセーバーとして活動する上で覚悟しなければならない命との向き合い方、自分の身(心も含む)の守り方、自分達の存在意義を身に染みて考えさせられた経験は今の活動の核となっています。
この経験から自分の経験と感じた気持ちは伝えていかなければいけないと思い、大学3年の冬にBLSアシスタントインストラクターを取得し、以降指導員としてクラブ内外問わず活動しています。
だからこそ、監視活動、スポーツ、ジュニア教育、指導員などで説得力のある姿勢、言動を心がけています。
私はスポーツからライフセービングを始めましたが、このような経験を踏まえて、支えてくれる人たちとの繋がりの大切さを感じて今も続けています。
私とビーチフラッグス
唐突ですが、ビーチフラッグスは私がライフセービングをやる上で欠かせない存在です。
高校1年生から始め、その時に現在日本代表監督の植木将人さんの動画を見せてもらった時の衝撃からのめり込むように動画を見て練習をし、ハマっていきました。
大学受験も、大学のゼミ、卒業論文、修士論文もすべてビーチフラッグスの起き上がり動作を題材にしたほどです。
現在はビーチフラッグスを通してアスリートの活動はもちろん、クリニックや地域との交流をしてビーチフラッグスの楽しさ、ライフセービングの認知度を広げるために地道に活動していければと思っております。Legends of Beach FlagsやThe Beach Flags Seriesなどビーチフラッグスを一つのコンテンツとしてライフセービングのきっかけ、水辺の事故へ関心を向けられるような大会等もありますので、更なる発展に私も貢献していきます。
これから
水辺の事故ゼロに向けてライフセービングを包括的に活動していきたいと思っています。
パトロールを基本としつつ、ジュニアユース指導、指導員としての資格講習会運営、スポーツは世界一を目指します。
そして、日本という国はオーストラリアやニュージーランドとは国土、人口、環境、風土、国民性などなど違うことが多いと感じる中で、日本ならではのライフセービングの形というものがあると思いますので、その中で私ができることをこれからしていきます。
最後に、坂本真德という人のあらゆる面に何かしらを感じて、時には憧れを持ってくれた人が日本のライフセービングに対して一滴でも良い方向に汗を流して関わってくれることを夢に見て、これからも活動していきます。
西浜サーフライフセービングクラブ所属
立教大学ライフセービングクラブ設立、出身
BLS.WSアシスタントインストラクター
2023年ISRC日本代表














