ライフセービングとの出会い
海まで歩いて5分の場所で育ち、両親が学生時代にライフセービングをしていたこともあり幼少期からライフセービングは身近な存在でした。常に海と隣り合わせの生活でしたが遊ぶだけではなく何か海に関する活動をしたいと考え始めたのは大学生からでした。
大学に入学すると高校の先輩に誘われてライフセービングの新歓ブースに行きました。行ってみるといきなりものすごい熱量でライフセービングについて話してくれました。少しびっくりしましたがそれ以上にこんな熱量で話せる活動を自分もしてみたいと思いライフセーバーとしての活動が始まりました。
1年目は九十九里で監視活動をして2年目からは地元で監視活動をしたいと思い、逗子のクラブチームに所属しました。3.4年目はコロナ禍でのガードでした。海の家も監視所もなく例年とは全く違う制限が多い監視でしたが、チーム全員で乗り切ることができました。この経験は一生の宝物です。
現在逗子のクラブは学生が多く所属しておりとても勢いのあるクラブになっています。今後は社会人として、学生が困ったらサポートできるような存在になっていきたいです。またジュニアライフセーバーの育成にも携わっていけたらと思っています。最近はクラブで市内の小・中学校に行き心肺蘇生法講習や安全講習、夏の監視期間には海で遊ぶプログラムを行っています。
クラブメンバーの活躍によりライフセーバーの市内での知名度は高まっていると感じます。
興味を持ってくれた学生がライフセービングを始めてくれていつか一緒に逗子の海を守れたらとても嬉しいです。
ライフセービングスポーツとの出会い
「一緒にチーム種目に出よう!」大学3年生の時に仲の良い友人が誘ってくれました。それまで私はレースを見るのが好きで大会にはオフィシャルで参加していました。最初は少しだけならという軽い気持ちで始めましたが練習するにつれてライフセービングスポーツにとても惹かれていきました。なによりライフセービングの繋がりが一気に広がりました。
大学4年生で出た初めての全日本。ファイナリストになれたあの瞬間は忘れられません。そこから多くの大会で嬉しいことも悲しいことも経験してきました。社会人になりましたが熱量は全然冷めず高まる一方です。そう思えるような環境にしてくれてる仲間たちにはとても感謝しています。私の目標は全日本でメダルを取ることです。現段階では遠い目標ですが応援してくれる人がいるかぎりその目標に向かって突き進んでいきたいと思います。
特別支援教育と私
現在、私は特別支援学校の教員として働いています。父も特別支援学校の教員であり、私が高校生の時にマラソン大会で伴走の経験をさせてくれました。その時に初めて障がいを持っている方と関わりました。緊張している私に優しく声をかけてくれ、ゴールをした後に笑顔でハイタッチしてくれたその方を見て、障がいを持っている人に寄り添い、力になりたいという思いが芽生えてきました。その気持ちは大学でも変わることなく、大学卒業後、通信学校で特別支援学校の免許を取得しました。
これまでライフセーバーとして、特別支援学校に所属している児童と一緒に海で遊ぶプログラムや障がいを持っている方が参加するプール大会のガードをしました。どちらも参加している方の笑顔が眩しく、とても暖かい空間でした。全豪の大会では、障がいを持っている方が出場できるカテゴリーがあります。今後、日本でも同じような取り組みができれば水辺の事故を減らすことに繋がると思います。
まだまだ特別支援教育に携わり始めたばかりですが、誰もが楽しめる海にできるよう、これからもたくさんの取り組みをしていきたいと思います。
最後に
社会人になってライフセービング活動の幅がものすごく広がりました。監視活動・競技・地域との関わり、特別支援教育、どれも私の中でとても大切な活動です。いまなら大学1年生の時に新歓ブースで先輩が話してくれたような熱量で語ることができると思います。ライフセービングに出会えてよかったです。ライフセービングをやると決断した当時の自分を最大限に褒めたいです。地元の大好きな逗子海岸のため、これからも自分のできることに精一杯取り組んでいきたいと思います。
今回はこのような素敵な機会をいただきありがとうございました。
日本大学サーフライフセービングクラブZIPANG卒業
逗子サーフライフセービングクラブ所属
九十九里ライフセービングクラブ所属
特別支援学校教諭














