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JLA 30th Anniversary

国際ライフセービング連盟とJLA:相澤千春

2021.11.28 (Sun)

国際交流

国際ライフセービング連盟(International Life Saving Federation – ILS)は、溺水防止・水辺の事故における救命に関する情報交換や実践活動の促進という共通の目的を持った、世界中のライフセービング組織の加盟によって構成されている国際組織です。2021年現在、世界の国や地域111カ国の代表機関が正式加盟、その他60以上の団体や組織が準加盟などのカテゴリーで所属しています。加盟組織間での情報共有や、相互の協力、溺水防止に関わる知識の研鑽や技術の開発、このような活動や組織を必要としている地域での普及活動も展開されています。他の国際組織WHO(世界保健機構)・IOC(国際オリンピック委員会)等とも溺水防止・ライフセービングスポーツの観点から連携を図っています。ILSは、1993年にその前身であったWorld Life Saving (WLS) Fédération Internationale de Sauvetage Aquatique (FIS) の統合により設立され、1994年イギリスのカーディフで開催された総会で正式に調印されました。その総会にはJLAからも初代理事長金子邦親氏が出席しており、全加盟国による同意書に署名をし、その記念すべき瞬間を共有しました。

1991年、日本サーフライフセービング協会(SLSAJ)と日本ライフガード協会(JLGA)の統合により日本ライフセービング協会(JLA)が設立されました。ILS創立の10数年前に遡り、SLSAJが1977年に正会員として、またJLGAは1985年に準会員として、ILS前身のWLSへの加盟が承認されており、1985年台湾でWLS総会と同時に開催されたユースの競技大会を皮切りに、Rescue ‘86(於:バンクーバー)以来現在に至るまで世界選手権大会には、毎回代表選手を送り出して(注:2012年フロリダ大会は、9.11テロ直後のため不参加)数々のメダリストも排出してきました。大会と同時に開催されるWLS / ILS役員会・総会にも毎回代表役員が出席し、ILS日本代表機関としての役割を果たしてまいりました。

2008年ILS総会においては、JLAから立候補した委員候補4名、メディカル(中川儀英)・教育(小峯力)・スポーツ(深山元良)・公平性と多様性(相澤千春)が承認されました。以来JLAからは、任期毎に積極的に各委員会メンバーとして立候補し承認を受け、各分野で活躍しています。またJLAからILSアジア太平洋地区代表理事に、2009-2012(相澤千春)、2016-2021(相澤千春)、2021-(中川容子)が就任し、ライフセービングにおける国際貢献に力を注いでおります。通常2年毎に開催されるILS主催の世界溺水防止会議(World Conference on Drowning Prevention – WCDP)においても、JLA会員による研究発表や、講演の聴講セッションのファシリテー等、積極的に参加をしています。

2021年4月に開催された国際連合(UN)の第75会期総会において、溺水防止に関する世界的な取り組みについての決議が採択されました。ILSの日本代表機関であるJLAは、このたいへん歴史的な決議に基づき、国内の関係諸機関や国民への周知や、水辺の事故ゼロを目指しての多岐にわたる活動に更に力を注いでいく使命があります。

ILS加盟国はそれぞれその所在地により、アメリカ地区・アフリカ地区・ヨーロッパ地区・アジア太平洋地区の4つのグループに分けられており、日本はアジア太平洋地区となります。2016年には、このILSアジア太平洋地区の総会をJLAが招致しホスト役を務めました。東京での2日にわたる会議と、藤沢・鎌倉での津波対策の現地視察や、西浜SLSCのジュニアメンバーを訪問するフィールドトリップに、海外から9カ国23名の代表を迎えました。

アジア太平洋地区では、オーストラリアやニュージーランドといったライフセービングの先進国と言われる国々もありながら、溺水死亡事故率は、アフリカ地区と並んでたいへん高いのが現状で、多くの島諸国や発展途上国における溺水死亡事故の多発は、ILSが取り組む喫緊の大きな課題となっています。日本のライフセービング活動はその創世期から、オーストラリアとの親密で活発なライフセービング交流により、大きく成長を遂げてきました。現在、アジアのリーダー国としてILSからも大きな期待を寄せられているJLAは、今こそそのストラテジーに掲げられた「アジアパシフィックを中心とした国際貢献」に力を注がなければなりません。

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寄稿:相澤 千春 あいざわ ちはる

Chiharu AIZAWA

1971年~西浜SLSC

当時、片瀬西浜での日本赤十字社水上安全法救助員講習を受け、その指導者だったJLA初代理事長金子邦親氏に勧められて、辻堂海浜公園プールでライフガードを務めたことがきっかけ。指導員としての先輩だったご主人ともその頃に出会い、その後共に、JLAの湘南での前身、湘南指導員協会を経て、日本ライフガード協会(JLGA)の設立に向けて熱心に取り組んだことから今に至る。当時オーストラリア協会(SLSA)から指導と協力を得て、下田地域で活発に活動されていた日本サーフライフセービング協会(SLSAJ)との組織統一から、現日本ライフセービング協会設立に至る過程で、独学で学んだ英語で国際交流の場の役割を担っていた。現在はJLA国際室委員、そしてLife Memberでもある。ILS元理事。

 

 

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