各地で活動するライフセーバーの皆様は、サーフィン関係の方々との関わりも深く、協力する場面も多くあると思います。
今回、日本サーフィン連盟の酒井理事長にお話を伺いました。
どんなきっかけでサーフィンを始めたのですか?
酒井:大学生の時、先輩から波乗りに連れて行ってもらったのがきっかけでした。2年生の時に伊豆・白浜(静岡県下田市)の民宿でアルバイトをすることになり、卒業してもしばらくサーフショップで働いていました。そのまま今に至り、下田に住んでいます。(笑)サーフィンを始めてしばらく経った頃、新しいチームを作ることになり、そこへ集まった子供たちの指導や、大会のジャッジをするため資格を取るなどして、深くNSAへ関わるようになっていきました。
東京2020ではサーフィンが新種目となり注目されましたが、どんな背景や影響がありましたか?
酒井:オリンピックが東京に決まった当初は、種目採用されるとはそんなに思っていませんでした。組織委員会へプレゼンテーションしたときも、あまり手応えを感じてはいなかったのです。ところが最終選考に残った途端に内外から注目や応援も増え、そこからはいろいろなことが良い方向に進みました。開催地候補として20ほどの自治体・市町村から手を挙げていただきましたし、最終的に日本人選手がメダルを取り、たくさんの良い機運を生みましたね。NSAも組織としてナショナルチームの長期的な育成に取り組む、転換期になったと思います。
本当はオリンピック会場で、サーフィンの歴史などを見てもらえるコーナーを設け、フェスを同時開催する計画がありました。古いサーフボードなどを日本に持ち込んで、展示なども準備したのです。しかし無観客となってしまい、叶わず残念でした。
コンペティターは波がない日は、海に入らない日常があります。そんな時は好きな音楽を聞いたり、スケートボードを楽しんだり、ファッションもこだわったりと、思い思いに楽しく過ごしますが、東京2020ではそういったサーフカルチャー含めた部分をたくさんの方へ見ていただきたかったのです。そこから、サーフィンが「おもしろいね!」「かっこいいね!」という見られ方をすることを期待していました。
余暇のスポーツレジャーとしてのサーフィンにはどんな影響がありましたか?
酒井:サーフィン愛好家が増えている実感はありますね。東京2020以降、サーフィンスクールの人気が高くなったと聞いています。私の地元、伊豆・白浜でもお断りする日があります。ここ最近は大型販売店のレジャー用品コーナーにサーフボードのようなものが売っていたり、手軽にそれらしい道具が買えるようになってきて、嬉しい反面、心配もあります。下田の場合は夏の期間、エリアを分けているので、サーフィンする方、海水浴をする方が混在しないのですが、そうでない海岸はお互いに注意を払う必要があります。スクールへ来た方には、自分に合った道具や、海のルールやマナーなどを伝えられるのですが、何も知らない方がサーフボードを購入していきなり海に来ると、それなりに危険が生まれると思います。経験者と一緒でない場合、夏の海岸利用で海水浴のお客さんが増える時期は、特にリスクが高くなりますね。
海岸利用が多くなる季節に、サーファーの視点で感じることはなんですか?
酒井:競技としてサーフィンをしている人はNSAで研修を受けたり、先輩後輩で情報交換をできますが、実際に競技をしている人は、サーフィン人口の1%と言われています。やはり圧倒的に多いそれ以外の99%の方へ、海の安全について注意喚起することが大切だと思っています。そこについては、ホームページやSNSを通じて広報するようにしています。東京2020が決まってからは、特に力を入れて、初心者向けの情報発信を増やしました。しかし大切なのは、現場で伝えること、体験してもらうことが大切だと思っています。ライフセーバーの皆さんも、海水浴場の現場で安全について伝えることに苦労されているのではないでしょうか。
ライフセーバーの存在については、どのように感じていらっしゃいますか?
酒井:私自身は大学生の頃から知っていましたし、当時から今に至るライフセービングの発展も身近に感じていましたので、リスペクトしています。去年、白浜ではコロナ禍で海水浴期間にライフセーバーの皆さんに変わって、地元のサーファー有志で1ヶ月くらい自主的にガードをしました。そこで身をもってライフセーバーの大変さを知ることができました。タワーの上から海の方を監視することはほんの一部で、実は後ろの陸で起きるいろいろなことにも対応しなければならないこと、その大変さに驚きました。
欧米ではサーファーとライフセーバーが協力して活動したりしますが、日本ではこれからどんな関係性を築いていけると思いますか?
酒井:お互いのスキルを高めて認め合い、一緒に海の安全を守っていけるといいですね。日本は島国ですし、年間通して海岸にライフセーバーが必要だと思っています。メジャーなビーチからでも通年ライフセーバーがいるモデルケースを作って、地位が上がっていくと良いなと感じています。どこかの国のように、公務員のような立場で地域に必要な人材としてライフセーバーが活動し、そこに人が集まる仕組みが良いのではないでしょうか。
市町村でサーフィンなどマリンスポーツを中心に年間通じた地域活性化を目指しているのであれば、安全を確保するためにライフセーバーも通年常駐させることも必要だと思います。それこそ役場の部署に新設するぐらいでもいいですよね。そういう本物のサーフィンのメッカをサーファーとライフセーバーの皆さんとで作って行けたらいいですね。
・お話ししてくれた方:一般社団法人日本サーフィン連盟理事長 酒井 厚志(さかい あつし)様
一般社団法人日本サーフィン連盟理事長。1958年生まれ。東京都出身。17歳からサーフィンを始める。1990年よりNSA役員として運営に関わり、その後ナショナルチームのコーチ、マネージャー、選手団長として海外遠征にも帯同。2011年よりNSA理事長。
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インタビュー後記
アメリカ本土やハワイでは、サーファーとライフガードの連携がとられていますね。特にハワイ・ノースショアのライフガードはサーファーからもリスペクトされている存在です。
一方で日本は、海水浴場を管轄するライフセーバーがほとんどなので、比較的穏やかな海が海水浴場とし開設される中では連携は必要ないのかなとも思いがちです。しかし、どんなに穏やかな海岸でも一度風が吹けば波は立ちますし、荒れた海ではサーフスキルは重要になってくるので、ライフセーバー自身がサーフィンを楽しめるようになることは重要なことです。ハワイのライフガードのような存在を目指したいものですね。
ハワイの尊敬するライフガード、ブライアン・ケアウラナ氏は、こんなことを言っています。「本来、すべてのサーファーがライフガードである必要がある。私は『海で誰かを助けたことがあるか?』と言う質問に『Yes』と答えられる人だけがサーファーだと思う。答えが『No』だとしたら、その人はまだサーファーとしてはスタートしたばかり。本物のサーファーとはいえない。海をより深く知り、海の一部であろうと考えるのなら、他の誰かを助けると言う意識を持つべきだ。」
同じ海を愛するものとして、共に海を楽しんでいきたいものです。
インタビュアー 入谷拓哉