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JLA 30th Anniversary

日本海側で広まるまで:細田直彦

2022.03.17 (Thu)

2020 JLAアニュアルレポートでは、本州における日本海側の1種/2種登録の地域加盟クラブ(以下、LSC)は、秋田LSC、山形LSC、新潟青山LSC、佐渡LSC、柏崎LSC、親不知LSC、若狭和田LSC、天橋立LSC、皆生LSC、岩見LSC、浜田LSC、キララLSC、コバルトブルー下関LSC、萩サーフ・ライフセービング・クラブ、山口LSCの合計15クラブが存在します。日本全国における(1種/2種)の合計数は101クラブなので、全国の地域加盟クラブのうち、約15%が本州の日本海側で活動しているLSCです。それぞれのLSCには発足から今に至るまでの物語があるはずですがここでは書ききれないため、私が活動している福井県で活動を始めるまでのエピソードを紹介します。

私は1996年に発足した新潟県の柏崎LSCに1999年の高校2年生の夏から参加し、ライフセービングのやり過ぎで(!?)見事に浪人生へとなりました。振り返ると、当時はつまらない受験勉強への気持ちが薄れており、人のために貢献できるライフセービングをずっと続けたいと願っていたように思います。高校、浪人生時代とライフセービングを続けるうちに、海について学べる大学へ進学したいこと、LSCがまだ存在していない都道府県に行き、自らクラブを設立したいと考えるようになりました。大学進学後は、初めて会う同学年の友人たちにライフセーバーの資格カードを見せて、活動に共感してくれた友人と一緒に週末ごとに柏崎LSCへ電車で通い、資格を取得してもらいました。学生クラブを立ち上げた後には、ライフセービングを行う海水浴場の確保に役所へとお願いに伺い、まずはたらい回しの上、門前払いをされたのを覚えています。身だしなみも悪く、成人前の大学生がいきなり役所の生活課に伺い、熱くライフセービングの話をはじめたので、今思えば当たり前の話です。すぐに散髪し、ピアスを外し服装を整えて再度お願いに上がりました。担当の方は、我々の想いを聞き、レスキューチューブ1本の購入と活動する海水浴場の使用を承諾して頂き、晴れてライフセービングが始まりました。

大学4年時に卒業後を見据え、新たに若狭和田LSCを設立しました。新たな海水浴場での活動開始でしたが、監視活動に必要な資器材を全てそろえて頂いた観光協会の方々、学生の我々に毎日人数分のお弁当を作ってくれたおばちゃんや、毎日叱咤に来てくれた浜茶屋のじいちゃん、最終日に感謝の手紙をいただいたばあちゃんなど、たくさんの地元の方々に我々の活動を支えていただました。

地域に根差したライフセービングにするには、自らが移住するしかないと思いはじめ、結婚と妻の妊娠を機に思い切って、福井県に移住してから10年が経過しました。ライフセービングは1人だけではたとえどんなに素晴らしい救助能力を持っていたとしても、成り立ちません。特にクラブの設立と継続は、自らの体験を通して切に感じます。ただ私にできたことといえば水辺の事故を防ぎたいという想いを周りの人に伝えること、それだけです。幸いなことに、多くの方々から理解をして頂き、共感と支援をして頂いたことで今もクラブがあることに感謝をしております。ライフセービングへの想いをもち、LSC設立を考えている方々へ、これまで私がサポートして頂いてきたことと同じように還元できるようにしたいと思っています。前述したように、まだまだ日本海側のLSCは少ないのが現状です。全国各地のLSCの設立にまつわるエピソードを胸に、ぜひ皆さんも新たな地でライフセービングを行ってみてください。きっと道は拓けるはずです。

 

寄稿:細田 直彦(ほそだ なおひこ)

1999年~ 福井県立大学LSC、柏崎LSC、若狭和田LSC

高校2年の夏、海水浴中に水難事故に遭遇し、知りあいのライフセーバーがいたことがきっかけでライフセービングをはじめる。

現在JLA理事、地域推進室(都道府県協会の円滑な運営のサポート)を担当。

 

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