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ヘリーハンセンとライフセービング:株式会社ゴールドウイン 本間永一郎様

2022.07.19 (Tue)

当社は、スキー、アスレチック、テニスに続く第四のカテゴリーとしてアウトドアスポーツに進出するため1983年にアウトドア事業の専任組織を編成し、それまでスキー事業の組織が取り扱っていたザノースフェースに加えてノルウェーのヘリーハンセンブランドのライセンス事業をスタートしました。私は、1982年に入社してマーケティング組織に配属され、新規ブランド導入の事業計画を作った経緯もあり、導入時点でブランドマーチャンダイザーを担当することになりました。

ヘリーハンセンブランド導入は、世界ナンバーワンのマリンブランドであるということが選択理由でしたが、ヘリーハンセンの強みは、ヨットやモーターボートでした。当時の日本では、登録されたプレジャーボートの数は約10万艇で1艇に10人が乗ったとしても活動人口は100万人程度のマイナーなスポーツでした。一方、日本人にとって「マリン」という言葉自体は、特に夏のシーズンでは、休みの過ごし方の最もポピュラーなキーワードの一つでした。今の日本では、「美白」が良しとされ、若い方で日焼けのする海に行く方が大きく減りましたが、ヘリーハンセン導入当時は、夏の間は東京から湘南の海への道は何処も大渋滞で、砂浜も人、人、人で溢れかえっていました。私個人も高校、大学時代にサーフィンをやっていたこともあり、「海=ビーチ」という感覚でした。

 

1983年にブランドを導入しましたが、最初の5年間は思うようにビジネスが拡大せず、どうしたら、日本でヘリーハンセンが「海のナンバーワンブランド」であることを世の中にわかってもらえるのかをいつも考えていました。当時は、ちょうどヨットとビーチスポーツの接点であるウィンドサーフィンが流行り始めた頃だったので、湘南のウィンドサーフィンショップのオーナーの方に相談したところ、「ビーチで一番目立つ人を『浜一君』と呼んで、浜一君がヘリーハンセンを着れば、皆んなに分かってもらえるんじゃない。」と言われました。

 

同じ頃、ウィンドサーフィンの大会で、御前崎で行われていたサムタイムワールドカップの海上運営スタッフのウェアのサプライヤーをすることになりました。ウィンドサーフィンのワールドカップですから勿論、主役はその選手達です。ビヨンダンカベックやロビーナッシュのライディングは今の時代ならXゲームを見ているようでしたが、私の目に焼き付いたのは、選手よりもラバーボートで強い風の中、大きな波を乗り越えてレースを運営し、時にはトラブルを起こした選手をレスキューする海上運営スタッフでした。その海上運営されているスタッフの中にライフセイバーのOBの方がいらっしゃいました。

 

もとより、ヘリーハンセンのブランドコンセプトは「安全で快適なシーライフ」です。母国ノルウェーでは、プレジャーボートの数が人口の1/4位でしたから、一家に一艇ボートがあることになります。しかし、北欧という地理的な環境は落水すれば命の危険があるほど水温が低く、シーギアに求められる第一の機能は命を守ることです。私は、普通の人が海を楽しむビーチで私達の命を守ってくれるライフセーバーこそがヘリーハンセンと海好きな人達の接点になってくれるのではと思う様になりました。私にとってはサーフィンやウィンドサーフィンの選手よりも彼らが「浜一君」でした。

そして、そのOBの方のご紹介で、事務局の方とお話をする機会を作って頂き、水着以外のアイテムのサプライヤーをさせてもらうことになりました。実は当時のヘリーハンセンは水着も作っていましたので、フルアイテムをサポートしたかったのですが、水着はMIZUNOさんがSPEEDOブランドで供給をされていましたので、ヘリーハンセンではTシャツ、トランクス、ウィンドブレーカー、キャップを供給いたしました。その後はゴールドウインがSPEEDOのライセンス事業をやることになり、トータルで対応させて頂ける様になったと思います。

 

供給するアイテムの企画開発を始めた最初の頃、事務局の方のお誘いで、白浜大浜で開催された日本サーフカーニバルや夏の多々戸浜や入田浜の活動を見に行かせて頂きました。思い出深いのは、真夏の多々戸浜に事務局の方を訪ねた時に、その方は、生憎、入田浜に行ってらっしゃいました。その日の東伊豆道路は渋滞のピークで大浜から多々戸浜迄も随分と時間が掛かりましたので、入田浜へも直ぐには着けないなと思っていると、無線交信してくれたライフセーバーの方から、事務局の方が多々戸浜に戻ってきてくれるとのことでした。でも、「既に上りも大渋滞ですよ。」と伝えると「泳いで来ますから問題ありません。」との言葉に驚かれました。本当に波間に頭が見え始めると、あれよあれよとこちらに向かってくる泳ぎの力強さを今でもはっきりと覚えています。

 

また、ジャパンサーフカーニバルで見せて頂いたライフセーバーの方の技術・体力・瞬発性も勿論ですが、年度末の報告会パーティーに招かれた際、ひとりでお伺いした私が持て余さない様に、入れ替わり立ち代りにご挨拶頂き、話しかけてくれた若いライフセーバーの方々の礼儀や優しい心遣いがとても印象に残っています。

咋年、日本ライフセービング協会が30周年を迎えられたとのこと。本当におめでとうございます。

私は、2001年にヘリーハンセン事業を他の者にバトンタッチして離れましたが、18年間のヘリーハンセン事業の思い出の中で、最も社会に貢献した活動であったことを誇りに思っております。世界の様々な海で赤と黄色のユニフォームを見る度に日本ライフセービング協会を思い出します。

どうかこれからも、日本のビーチを安全で楽しい海にする為にお力を発揮されることを祈っております。

 

寄稿:株式会社ゴールドウイン 取締役専務執行役員 本間永一郎様

1982年入社。1983年よりヘリーハンセンブランドのライセンス事業をスタート。

ヘリーハンセン事業グループ マネージャーとして18年間担当され、現在に至る。

JLA設立の1991年から2011年まで、20年間に渡りライフセーバーのパトロールユニフォームをサポートしていただいた。



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