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JLA 30th Anniversary

学生選手権の歴史:泉田昌美

2022.09.11 (Sun)

この度は日本ライフセービング協会設立30周年を迎えるにあたりお祝いを申し上げます。

私が学生選手権に参加したのは、第3回の大会からでした。今のような種目ではなく、オーストラリアで実施されている種目から幾つか選別され、種目になっていたように思います。男女の区別はなく、全ての種目において男女混合で実施されていました。1975年から始まった全日本選手権(以前の名称:ライフガード大会)ですが、1980年代に入ると大学生のライフセーバーも増え、大学にクラブやサークルが設立されると大学クラブで参加するか、地域クラブとして参加するかの選択に悩んだそうです。そこで、学生の有志が集まり「学生選手権」として、1986年に藤沢市辻堂海岸で第1回大会が実施されました。その後、第5回大会から男女別にチームが組まれました。この競技会においては、「1㎞×3 ビーチリレー」という独自の種目を生み出しています。 

現在では当たり前のように、海とプールで競技会が実施されていますが、学生選手権にあってはプール大会が近年になりようやく実施されるようになりました。日本でライフセービング競技に関わっている人数については、一時的に増加はしますが横ばいが続いています。海での競技会参加者数は、プールにそのまま反映されません。2006年から学生委員長として大学生と日本のライフセービングを変えようともがいてきました。大学でのライフセービング界では、海での学生選手権大会が終わると引退し、同時にライフセービングを辞めてしまう者が多く、地域クラブに移行する者も非常に少なかったように感じます。

ライフセービングを続けてもらうためにはどのようにしいたらいいか、プールでの競技者数を増やすにはどのようにしたらいいか…。

関東近辺では競技会が毎年実施されていますが、選手数の割合からも地方での大会は難しいとされていました。しかし、「関西での競技者増加や審判員の育成」を考え、プール競技会を大阪で開催することとなりました。しかし残念ながら関東からの参加選手数は増加するものの、近畿や関西での参加選手数は増加することなく本来の目的が達成できなくなっていました。そこで、大学生としてライフセービング活動を長く、卒業後スムーズに地域クラブへ移行するためには卒業前にプール競技会へ出場しライフセービングの情熱を持ったまま地域クラブへ移行してもらおうと、2010年2月「第1回全日本学生ライフセービング・プール選手権大会」を実施することとなりました。

日本のライフセーバーの多くは、大学生からスタートし、他の国では見られない独自の発展をしています。この先も、学生選手権においては「勝つことが全て」の競技会ではなく、互いを尊重し、高めあい、友情に溢れる競技会であることを願います。

 

寄稿:泉田 昌美(いずみだ まさみ)

1988年~日本体育大学ライフセービング部、鵠沼プールガーデンライフセービングクラブ、 新島ライフセービングクラブ、西浜サーフライフセービングクラブ

体育大学へ入学し、「体育教師を目指すなら部活に入れ」という時代で、探していたところライフセービングの文字が目に留まり上級生に勧誘される。そこでRescue’88の映像を観て、ライフセービングを始める。





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