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私とライフセービング

Vol.1 – 細田 直彦 / Naohiko HOSODA

2020.08.02 (Sun)

新潟県柏崎市で育った私は、小さな頃から父に連れられて海水浴に行くことが大好きでした。
夏休みは毎日海へ連れて行ってもらった記憶があります。
中学生そして高校生になっても海水浴が大好きで、夏休みには友人と自転車をこいで海水浴へ行き、そして夕暮れまで遊んでいました。
高校に入ってからは学校が終わるとウインドサーフィン、週末は父と一緒にヨットに明け暮れる日々でした。
風の無い日はすることが無いので地元のライフセーバーの大学生にお願いしてパドルボードに乗せてもらっていました。
私にとって、海は楽しい場所そのものでした。

 

高校2年の夏休み、ある日友人といつものように海水浴場から帰ろうとしたとき、
ヘリコプターが辺りを飛び、海上保安庁の船が近くに来ていることに気が付きました。
面白半分で海の岩場を見にいくと、あのライフセーバーのお兄さんたちが何度も何度も海の中を潜っていました。
30分くらい経った時、突然水の中から人が引き上げられ、担架に乗せられた方が私の目の前を通り、救急車に乗せられていきました。
いつもの穏やかな海水浴場の雰囲気はそこには無く、泣き叫ぶ身内の方や怒号が飛び交うような海と化していました。

この光景を見た時、金づちで頭を思いっきり叩かれたような、そんな衝撃を受けました。
海は楽しい場所なんだと、物心ついた時からそう思っていたからです。
自宅に帰り、夕方のニュースを見た時、私が目撃した水難事故のニュースが流れており、
救急車で運ばれた方が亡くなられたことを知りました。

「自分にも何かできることがあるのではないか…」そう思い、ライフセーバーを目指すことを決心しました。
地元のライフセービングクラブにお願いし、講習会に参加させてもらえることになりました。
その後、1年間浪人し、大学進学と同時に福井県へと引っ越すこととなります。

様々なご縁があり、今は若狭和田ビーチで監視活動を行っています。
「今日は家族で夜はキャンプをするんだよ!いいでしょー」
溺れた方を引き上げ、心肺蘇生法を続けながら砂浜で大声を出し駆け回り、ようやく見つけたご家族のお子さんからの言葉でした。
事情を説明し、とにかく病院へ行ってもらい、夕方に海へ帰ってきたご家族の悲しむ姿が今でも忘れられません。

もっと早く気付くことが出来たら…
もっと泳ぎに来られる方々に海の知識があれば…
この思いがある限り、ライフセービング活動を続けていきます。
私は皆さんに大好きな海を思いっきり楽しんでもらい、笑顔で帰ってもらいたい。
ただそれだけです。
嬉しいことに私の父も定年退職後、ライフセーバーの資格を取得し活動をしています。

 

日本ライフセービング協会は「水辺の事故ゼロ」を達成することを目指し、活動しております。
もっと多くのライフセーバーを養成すること、水辺の知識を広く皆様に知ってもらうことにより、
「水辺の事故ゼロ」を達成したいと考えております。

細田 直彦
Naohiko Hosoda

公益財団法人 日本ライフセービング協会(JLA) 理事/インストラクター
若狭和田ライフセービングクラブ所属
2019年よりJLA理事として地域加盟クラブ支援を主に担当。

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水辺の事故ゼロへつながります

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