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私とライフセービング

Vol.17 – 入谷拓哉 / Takuya IRITANI

2021.01.21 (Thu)

「お前ら夏だけぽっと現れて偉そうなこと言ってんじゃねえよ!」
初めて夏、ガードで現場に入ったときにサーファーから言われた言葉、今でも忘れません。根に持つタイプです(笑)。朝8時になると遊泳エリアからサーファーを移動させるのが1日の仕事の始まりで、当時は「サーファー追い出し」と言っていましたね。今ではそんな言い方はしていませんよ、それに8時になると皆さん自然と移動してくれますからね。時代は変わりました。
当時はその言葉が悔しくて、「なら1年中海に行ってやろうじゃないか」と心に火がつき毎週のように波乗りに行ってましたね。他の1年生よりも顔が黒いと言われるのが私の誇りでした。
毎週のように海に行くと波乗りの楽しいこと楽しいこと、その魅力にすっかりハマってしまい、先輩からもらったサーフボードを片手に一年中海で遊んでいました。初めて横に滑れたときには本当に感動しましたし、海ってなんて楽しいところなんだと。大学を卒業したら絶対に海のそばに住みたいと思い、その魅力にどっぷりハマりました。同時にその怖さも知るようになりました。

海の魅力に取り憑かれた私は、大学を卒業した後も数年間は毎年ガードには入るようにしていました。ある年、溺れた人が発見されたとの通報を受け現場に駆けつけてみると、中年の男性が波打ち際で横たわっており女性が心肺蘇生をしていました。その女性は男性の奥さんで看護師、必死に胸骨圧迫をし、その傍らで2人の子供が泣き叫んでいました。救急車が到着するまでの間私はその奥さんと一緒に必死になって心肺蘇生を施しましたが、残念ながら助けることはできませんでした。その光景は今でも忘れられません。2人の子供の泣き声は今でも頭の中に残っています。もう20年も前のことです。

2年前、宮崎の海水浴場で海開きセレモニーに来賓として出席しました。式典の最中は天候があまり良くなかったですが、午後になるとすっかり晴れて海水浴客も何人か訪れていました。14時を回りそろそろ空港に移動しようと荷物をまとめていたとき、海の中で遊んでいた子供の異変に気付いたライフセーバーがボードで駆け出して行きました。ドキッとして一気に胸が締め付けられるような緊張が走り、救急車要請の指示をしながらその様子を見ていると、意識なし呼吸なし。浜に引き上げて心肺蘇生が開始され、ライフセーバー達の必死な呼びかけが響き渡りました。救急車が到着した時には意識も取り戻し会話もできるまで回復。ほっとしていると、お父さんが慌てて救急車に駆け寄ってきました。対面した途端、2人は抱き合いながら泣いていました。その子供は誰よりも大きな声で泣き叫んでいました。怖かったんでしょうね。苦しかったんでしょうね。その様子を見ていた私も涙が止まりませんでした。
海やプールでは一瞬のうちに生命が奪われます。その恐怖は思いもよもらず突然やってきます。そんなんことは誰も予測していませんし、誰も自分の身に起こるとは考えていません。

誰にもこんな悲しいことは起きて欲しくないし、起こしたくないです。そのためにはライフセービングがもっと広まればそれが実現するのではないかと思っています。ライフセーバーが1人でも多く増やせれば、水辺の安全教育「ウォーターセーフティ」がみんなに伝えられれば、水辺の事故は減らすことができます。「水辺の事故ゼロをめざして」その思いが今の私の原動力です。
「ライフセーバーをすべての海水浴場に配置する!」
「全国の子供たちに水辺の安全教育を普及する!」
これらの事業展開のために活動資金が必要です。皆さまからのご寄付が水辺の事故ゼロへつながります。

入谷拓哉
Takuya IRITANI

公益財団法人日本ライフセービング協会 理事長
日本体育大学ライフセービン部OB(第8期)
西浜サーフライフセービングクラブ所属

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