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私とライフセービング

Vol.18 – 石川仁憲 / Toshinori ISHIKAWA

2021.01.28 (Thu)

1992年夏、台風の影響で荒れた海はレスキューの繰り返しであった。
沖合から浜に戻ると直ぐにトランシーバーに連絡が入り、再び沖へ。波間で確保した遊泳者は既に呼吸なし。荒れた波の状況下で心肺停止傷病者を確保して岸に戻るにはリスクが高く、陸のキャプテンの判断で最寄りの漁港から漁船が出航、沖合船上にてCPR実施。漁港にて救急隊に引き継ぐ時には脈回復、しかし助かることはなかった。
19歳で経験した命の尊さと自責。
最初のEmergency Careは今でも鮮明に記憶に残る。誰もがライフセーバーになれるが、誰もがレスキュアーにはなれない。そう思い、トレーニングに励むとともに、ライフセービングのあり方に疑問を抱くことは必然であった。

社会人になり、再びライフセービングに強く関わりはじめたのは、スマトラ地震後に進められた海水浴場での津波対策に携わった2010年。その後,溺水防止救助救命本部長として、ライフセービングの質の向上に注力し、信頼する太さん(現溺水防止救助救命副本部長)、風間さん(現アカデミー本部長)、専門委員の仲間と共に、レスキューミーティング、サーフトレーニングクリニック、シミュレーション審査会、海水浴場リスク評価、 Water Safetyキャンペーン、AIとIoTを活用した海辺のみまもりシステムなどの新事業の展開、海上保安庁など公的救助機関との連携強化を進めてきた。
誰もがライフセーバーになれるが、誰もがレスキュアーにはなれない。という19歳の思いは、年を経て、事故防止のためには1人のレスキュアーより100人のライフセーバー。そして、誰でもライフセーバー・レスキュアーになれる社会の実現へと変わっていった。
海や水辺での楽しい時間を決して悲しみにかえてはならない。
この思いは30年間変わらない。
今の自分にとってライフセービングは、サーフィンをはじめとする様々なマリンスポーツの核にある。水辺の事故ゼロにむけて、海を愛する多くの皆様がライフセービングに関わって頂けることを切望する。

石川仁憲
Toshinori ISHIKAWA

公益財団日本ライフセービング協会理事/溺水防止救助救命本部長
国際ライフセービング連盟レスキュー委員会 委員
海上保安庁海の安全推進アドバイザー
東海大学海洋学部ライフセービングクラブOB

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