JLA English Site

私とライフセービング

Vol.21 – 森島こころ / Kokoro MORISHIMA

2021.03.27 (Sat)

私がライフセービングに出会ったのは高校1年の時です。
3歳から中学まで水泳をしていて、入学した高校には水泳部がなく、高校に入学したものの勉学に励むような性格でもないので、父が社会勉強としてやりなさいと紹介されたのがライフセービングでした。
父は水上安全指導員の資格を取得しており、同じくその資格を取得しているライフセービングの方と知り合いで、父が私を社会勉強にやりなさいと言われ、私はライフセービングをすることになりました。
正直初めは、命を救う大変さをライフセービングとして長年ガードをしたことがない私は安易に考えていました。
最初はまだ1人でビーチの全体を任せていただくことはできないので、まず、私たちが拠点にしているビーチの地形が、海に入った瞬間深くなる場所があったりと知らずに入ると溺れる可能性も高いため、水辺に関する注意事項の説明を遊泳者にする役目を主にやっていました。
水辺の事故防止を未然に防ぐことはもちろん、遊泳者に楽しい思い出だけを作って帰って欲しいという願いから、私たちは説明の徹底をしています。
また、先輩からガードについての知識や技術を一緒にガードに立ちながら教えていただきました。
その教えていただいている最中に子どもが溺れ、私は動くことができず、隣にいた先輩が救助に向かいました。
その時、ガードを安易な気持ちでやってはいけないと感じました。でも、私が助けることができるのかという不安や恐怖から、積極的なガードが難しくなり悩んでいました。
ですが、先輩たちとの朝練を通して自信がついたり、私のガードを後ろから見守り、何かあれば必ず助けてくれる連携のあるクラブのため心強く落ち着きながら周囲の観察ができたため、最初に抱いた感情もどんどん薄れていき、少しずつ自信が持てるようになりました。私たちがいることでこのビーチに安心してきてくれる人が多いことや、遊泳者からの感謝の言葉など、やりがいのあることばかりでライフセービングとしてもっと知識や救助の技術を高めようと強く思いました。
遊泳者が多い場合の周囲の観察方法や、地形の把握、ガードメンバーとの遊泳者の泳力能力の引き継ぎを確実に行うことの大切さ、溺れそうな人たちへの事前の声掛けの大切さなど、命を守ることに必要なことを全て教えてもらいました。
高校1年生の夏の2ヶ月間はあっという間で、厳しいことを言われて泣くことがたくさんありましたが、ガードはガード。人の命を守るためにビーチに立っていることを忘れないために厳しいだけで、ガードが終われば家族のように接してくれる人しかいないので、本当に楽しい時間を過ごさせてもらいました。夏の最後は、充実した生活を送らせてもらったことに感謝しかなく、涙が止まりませんでした。

この2ヶ月間で、私はこれからもライフセーバーとして夏は活動していきたいと強く思うようになり、ベーシック・サーフ・ライフセーバーの資格を取得することを決めました。
高校2年生の時には、先輩方とWRMAの講習に参加させていただき、練習するうちに救助の幅を広げたいと思い、特殊小型船舶の免許を取得しました。
ガードを通して、私の性格は良い方向へ大きく変わっていきました。私は怒られるたびに、言い訳をしていました。でも、ライフセービングの先輩に言い訳は1番ダサい、かっこ悪いと言われてからは素直になりました。
今までの私だったら積極的に取り組むことはなく、めんどくさいし誰かやるだろうという考えでいました。
ですが、ライフセービングの先輩方からテレビのインタビューや、心肺蘇生・AED講習会、ベーシックのサポート、トライアスロンガードなど、海以外での活動をやってくれないかと任された時、それがとても嬉しく思い、それからはなんでも率先して挑戦しています。また、たくさんの良い経験と良い出会いをすることができました。

今回の、私とライフセービングに関してもそうです。
私がなぜ今回、この記事を書かせていただこうと思ったのかは、私が所属するクラブの仲間をはじめ、それから出会ったたくさんの方々が家族のような大切な存在になったからです。もし、父にライフセービングを紹介されなかったら今の私は本当にいません。出会いと繋がりに感謝しかないです。
まだまだ伝えたいことが山ほどありますが、尽きることがないのでここまでにします。

森島こころ
Kokoro MORISHIMA

大分ライフセービングクラブ所属
高校生の時の私です

皆さまからのご支援が
水辺の事故ゼロへつながります

皆さまからのご寄付はWater Safety教育の普及事業などに活用します