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私とライフセービング

Vol.22 – 植木将人 / Masato UEKI

2021.04.02 (Fri)

1995年夏。ライフセービングに出会いました。この出会いがなければ、現在の私はなく、まったく別の人生を歩んでいたかもしれません。
「あなたは愛する人を救えますか?」日体大ライフセービング部の指導員が発した言葉に心に突き刺さったことを今でも鮮明に覚えています。真っ黒に日焼けした体、きびきびと動く説得力の塊のような姿に私はすっかり魅せられてしまいました。

それから3年後の1998年。日体大に入学し、まっすぐに日体大ライフセービング部に入部届を提出しました。入部届を提出すると、当時の主将に即返却をされました。「この書類はずっとこの部に残る大切なものだ。もっとしっかりとした文字で書いて来い。」決して雑に書いた入部届ではないのですが、日体大L S Cに入部をするということ、人の命を救うということはそれくらい重いものであり、厳しいものだという現実を一番に教えて頂いた出来事でした。

それから4年間はライフセービングに没頭し、充実した学生時代を過ごしました。4年生のある時、監督から「人生の時間を”ライフセービング”という8文字で表すならば、大学を卒業するということはライフセービングの”ラ”が終わるくらいだ。これからが本当のライフセービングの始まりだ。」という趣旨のお話をいただきました。単に学生時代の部活動に留まらず、卒業後に本当のライフセービングが始まる…と。
卒業後は日本で最も歴史のある西浜サーフライフセービングクラブの門を叩きました。
西浜SLSCには日体大LSCの先輩はもちろんのこと、他大学の先輩方や多くの社会人が生涯の活動としてライフセービングに携わる姿がありました。仕事とライフセービング活動の両立、そして、いつからかライフセービングをライフワークとしての生活を描いていました。

また、特別支援学校の教師として約20年。この道を与えてくれたのも、ライフセービングでした。学生時代のジュニアプログラムで出会った小学6年生のダウン症児。彼が海に入り、初めてニッパーボード乗り、初めて波に乗った時のあの笑顔。
あの笑顔が忘れられない。海は人を幸せにしてくれる。

「人を一人の人間として成長させてくれるもの」
それが私にとってのライフセービングです。そんな活動を地道に続けていき、さらに広く普及していきたいと思います。

植木将人
Masato UEKI

公益財団法人 日本ライフセービング協会
スポーツ育成委員/選手選考委員/オープン日本代表監督
JLA指導員(WSI/BLSI/SI/PI/Jr.I)
日本体育大学ライフセービング部OB(15期)
西浜サーフライフセービングクラブ所属

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