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私とライフセービング

Vol.24 – 大山玲奈 / Reina OHYAMA

2021.04.17 (Sat)

私がライフセービングに出会ったのは、成城学園高等学校に入学した時です。
それまで真剣に水泳に取り組んでいましたが、なかなか伸びず、当時所属していたスイミングクラブを辞めて「これから何をやろうか」と考えていた時でした。
同じスイミングに通っていた先輩に誘われて「人のためになるスポーツ」という部活動の説明会に参加しました。(当時は発足したてで部活ではなく「愛好会」でした)
そこで松本先生(現JLA理事・ライフセービング教育本部長)に出会い、人や社会への貢献心の高さやライフセーバーの強さとやさしさを目の当たりにして、「もう泳がない」と思っていたはずなのに、心が動いてしまいすぐに入部を決めたことを覚えています。
部活動では、FAやBLSを繰り返し勉強したり、走ったり泳いだりしていましたが、記憶に残っているのは、学外で脱力した先生を、道行く人に心配されながら、生徒数名がかりで校内に運ぶ練習をしていたことです。学外でもちゃんと声掛けをしなさいと何度も怒られました。
今考えると不思議で少し笑える光景ですが、当時は全員真剣に取り組んでいました。
高校2年生のときには部員が7名しかおらず、合宿や大会の遠征などに出かけるときは家族旅行のような雰囲気でとにかく楽しく、夢中で活動していたように思います。
ライフセービングを始めてもう10年以上経っているのですでに当たり前に感じてしまいますが、高校生だった当時驚いたのは、所属や立場を超えて人を助ける文化が根付いていることでした。
実際に私も高校生の時、成城学園LSCにしか所属していなかったにも関わらず、「もっと強くなりたい」と声を上げただけで多くの方が快く力を貸してくださいました。
飯沼誠司さんのお誘いで館山の練習会に(中川容子さんの送り迎え付きで!)参加させていただいたり、西浜の今井恵子さんにマンツーマンでトレーニングを教えていただいたり、現理事長の入谷拓哉さんに毎週ボードの練習に呼んでいただいたり、日体大の朝練に混ぜていただいたり…
このような経験があるからこそ、私も周りの方々には所属の垣根を超えて力になりたいと思い行動し、この連鎖がもっと広がるといいなと思っています。
大学に入ったばかりの頃は今よりもっと生意気で、新勧に自分のボードを持って現れ、知ったかぶりで話を聞くような本当に可愛くない1年生でした。
実際は、監視活動中のご飯当番ではお米も炊けず怒られて、人前で話すときは緊張して声が震え、海で大きい波に巻かれて泣いている、普通の1年生だったと思います。
それでも早稲田や波崎の先輩方は全員キラキラしていて、頭もよくて優しくてかっこよくて、それでいてそれを鼻にかけない謙虚な雰囲気で、振り返ってもダメダメな私を成長させてくれました。

大学時代には、春休みを利用して1か月~2か月ほどオーストラリアにトレーニング留学に行っていました。
トレーニング留学といってもなにかプログラムがあるわけではなく、ホームステイ先、練習場所、交通手段など周りの方々に教えてもらいながら自力で手配する形でした。
当時スマホの地図もそこまで精度が良くなかったため、練習場所までの道のりを紙の地図で確認しながら朝の5時前に、まだ取りたての免許を持って運転し、朝薄暗い中、半信半疑でコーチらしき人に話しかけて練習に参加するなど、トレーニングのレベルの高さに圧倒されたことはもちろんですが、それ以前に生活するだけでも精一杯で、身体も脳みそも毎日筋肉痛になるような生活でした。
それまで守られた環境で周りの方々に大事に育てられてきた私にとって、そんなオーストラリアでの生活は、「コンフォートゾーンから出ることで成長できる」ということを強く実感した出来事でした。
帰国後はオーストラリアでの経験をクラブへ還元するため、教育活動に力を入れました。
オーストラリアではライフセービングが子どもたちのメジャーな習い事の一つであり、ほとんどの子どもが海でのルールや安全な遊び方を知っていて、実際に地元の人の事故はほとんど起きないという話を聞いたからでした。
「波崎にジュニアのクラブを立ち上げよう」と、企画書を作り、地元のスポーツイベントへ参加したり、広報誌に載せていただいたり、地元のスイミングスクールに飛び込み訪問するなどトライアンドエラーを繰り返して進めていきました。
一人の男の子が波崎からジュニアの大会に出ることもありましたが、継続させることができず、他のジュニアクラブの偉大さを身に染みて感じたことを覚えています。
PDCAを回し、結果がそぐわなくてもトライすることで成長があることが大きな学びとなりました。
競技でも日本代表として大会に出場したり、インカレや全日本で何度かメダルをいただいて、海に入っているときの自分が一番好きだと思えるほど、自分自身にも周りにも認められることが多く、私はとてもラッキーでした。
ライフセービングに出会ってから今年で13年目となりますが、これからもずっと関わりたい活動であることに変わりはありません。
そもそも海も好きで、ライフセーバーの皆さんも大好きということは大前提ですが、ライフセービングを通した人や社会への貢献活動が、まわりまわって自分の価値を高めてくれることに繋がるのだとこの12年間で実感してきたからです。

今回この記事を書くにあたって記憶を辿り、成城学園、岩井、早稲田、波崎、世田谷スイミングアカデミーなど、振り返ると数多くのクラブで、たくさんの人に支えられてきたことを再確認し、感謝の気持ちでいっぱいです。
この記事を読んでくださった皆様、最後まで読んでいただきありがとうございました。
まだまだ活動は続きます。
皆様ともどこかでお会いして何か一緒にできたら嬉しいです!

大山玲奈
Reina OHYAMA

波崎SLSC
教育本部地域教育推進委員会/ 広報室/ 国際室

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