ライフセービングとの出会いは多くの人と同じ、大学1年生の時の部活動勧誘でした。
高校まで水泳をやっていましたが、大学の体育会で続ける実力もモチベーションもない。でも一から新しいことを始める気にもなれないし…「泳ぐことが何かに活かせないかな…」なんて思いながらキャンパスを歩いていたら見つけました。
黄色と赤のユニフォーム。
それまで色んな人に渡された部活動勧誘のチラシを全てゴミ箱へ投げ入れて、ライフセービングクラブのブースへ向かいました。
神奈川大学ライフセービングクラブ(当時はサークルでした。今は後輩たちが頑張ってくれて体育会ライフセービング部です。)は当時各学年に2〜3人しかいない小さなクラブでした。ところが私と同期で入部したのは全部で12人。その次も、その下の代も10人前後の入部があり、私たちが卒業する頃には大きなクラブになっていました。
高校まで通っていたスイミングクラブから声をかけてもらって始めた、水泳のインストラクターのアルバイトとの両立もしたかったことから、地元の藤沢に近く、且つ先輩が所属している鎌倉ライフガードに入りました。
入会した年の秋頃から、発足したばかりのジュニアチームのコーチとしてジュニアライフセービング教育に携わるようになりました。当時一緒に水遊びをしていた子達も今は大学生。つい先日自転車ですれ違った時も当時と変わらず元気に挨拶をしてくれました。もともと子供と遊ぶのが好きだったこともあって、思いかえせばプールに、海に、常に子供たちと水に浸かっている学生生活でした。
2012年にライフセービングを始めて今年で9年目。まだまだ短いライフセービング人生ですが、その中でも3つの転換期がありました。
『学生室』
大学1年生の2月頃、クラブ内にある募集の連絡が流れました。その後のライフセービング人生を大きく変えていくことになる学生室(現:学生委員会)メンバーの募集の案内でした。
鎌倉には大学ライフセービングクラブに所属しているメンバーが少なく、横の繋がりと言ったらベーシックを取った時の同期くらい。「他大学の友達が欲しいなー」なんて不純な理由で申込みをしたのを覚えています。思えばこれが第一の転換点でした。
毎月の定例会、小中高生プログラム、インカレ、リーダーズキャンプ、他大学の仲間と一緒に様々な事業に取り組みました。私が特に好きだったのは、小中高生プログラム。大学生ライフセーバーが小中高生向けのライフセービングプログラムを企画、運営する教育事業です。
ジュニア、ユース世代と遊ぶのが好きだったことももちろんですが、理由がもう一つ。参加してくれた当時中高校生だった子達が、「学生室の戸向さんですよね!?」と未だに声をかけにきてくれるからです。当時たくさんの参加者を前に、てんやわんやしながら必死にプログラムを回していた私は、名前を覚え切れないまま終わってしまいましたが、参加してくれた方の印象に残っていたんだと思うと嬉しくなります。
『ゴールドコーストで触れたライフスタイル』
第二の転換点は、「ライフセービングをライフスタイルに」という考え方に出会い、その環境に触れられたことでした。
この言葉に出会ったのは、大学3年生の冬。国立オリンピックセンターで行われた学生リーダーズキャンプにて、当時ライフセービングシステム開発委員会に所属されていた、毛利智さんの講話の中でした。
「ライフセーバー人口の8割を占める学生は、社会人になるとライフセービングから離れてしまう。」さまざまなデータを駆使した講話は就職活動を控えた当時の私は衝撃を覚えました。しかしこの時は、社会人になってもライフセービングを続けていくということへの具体的なイメージが掴めないまま時間が過ぎていきました。
そのイメージが強烈な印象となって身体に染み付いたのは、
2014年と2016年の秋に参加した、神奈川県ライフセービング協会とオーストラリアのゴールドコースト市が提携して行っているライフガード研修でした。
そしてこれは、学生本部へお声がけ頂き、一緒に活動させて頂いている学生本部長の白井勇喜さんと親しくさせて頂くきっかけとなった研修でした。
「え!君、学生室なの!?」「俺、昔主務だったんだよ!」
機内の防寒用に着ていた学生室のパーカーを見た白井さんに声をかけられ、そこから研修の期間中、ライフセービングのことや、学生室の話で盛り上がったのを覚えています。
研修中は、現役ライフガードの家にホームステイをして、同じリズムで生活をしていました。朝4時半に起きて、ランニングか近くのプールでスイム、波がよかったらサーフィン、朝6時に家に帰ってきて朝ごはんを食べて、通勤途中に自分のサーフクラブでコーヒーを飲んでから、ライフガードトラックで出勤する。5時に仕事を終えて、トレーニングをして、夕飯を食べて、9時には寝る。
社会人になる前の年というタイミングで、『ライフセービングをライフスタイルに』を地で行く環境に触れることができたのが、今現在もモチベーションを切らさずにトレーニングを続けていられている理由の1つかなと思います。
『しらす隊』
第3の転換点は、同じ『ライフセービングをライフスタイルにしている』仲間と活動するようになったことです。
「日本一映えるライフセービングのインスタグラマー目指しましょ。」後輩の高木惇暉くんの一言をきっかけに、2014年の岩井臨海学園でお会いしてからの飲み友達だった先輩、楠本慶明さんと、学生室の後輩の榎本宏暉くんとともに、Instagramアカウント『Shirasu Squad slsc』を立ち上げました。2018年の大晦日の夜のことでした。
なかなか今まで言葉で説明をしたことがなかったので、説明が難しいのですが、
「敷居の低いライフセービングコミュニティを目指して」をモットーに、ベテラン、ビギナー、お久しぶりの人も関係なく、みんなで一緒に楽しくボード漕ぎましょう!というスタンスのもと活動するボードトレーニングのコミュニティ(=通称:しらす隊)で、ほぼ毎朝地元の江ノ島で水遊びを…トレーニングをしています。
Instagramの投稿やストーリーズで呼びかけたり、連絡を頂いたりして、現役の学生やベテラン社会人の皆様と水遊び(=トレーニング)をご一緒させて頂いています。クラブの垣根を超えて様々な方とご一緒させて頂くことが多いため、地元西浜SLSCの皆さまとご相談させて頂きながら、トレーニングの進め方やルールを考え、参加する皆様にも協力頂きながら進めています。
午後から仕事がある日でも、ルーティンワークの様にトレーニングができているのは、ゴールドコーストでみたライフスタイルがあったからかもしれません。海に入らない日はなんとなく調子悪い身体になりました。
トレーニングの内容はもちろんのこと、隊長を始め、メンバーの雰囲気の良さもあって、学生の頃よりトレーニングするようになりました。私の学生時代を知っている人はもれなく驚いています。
最初は細々と練習の様子を更新するだけのアカウントでしたが、2019年5月に行われた神奈川県選手権をきっかけに、マナーアップ情報を始めとしたライフセービングに関する様々な情報発信も行うようになりました。
現在所属している由比ヶ浜Surf&Sportsへ移籍したのもちょうどこの頃でした。鎌倉由比ヶ浜を拠点とする、ライフセービングを中心としたオーシャンスポーツのスクールが母体のライフセービングクラブです。2021年現在、単独でガードをする海水浴場は持っていませんが、メンバーは公募のガードやトライアスロンのガード、他浜のガードのヘルプとして活動しています。
2019年の秋、移籍して初めての夏が終わった頃から、『Shirasu Squad』にUPし続けていた趣味の一眼レフで撮った写真や、GoProで撮影した動画を評価して頂き、ライフセービングのイベントからカメラクルーとして声をかけて頂けるようになりました。
NPTチームの皆様が主催するパドルスポーツの祭典、『The Secret』に始まり、社会人ライフセーバー限定のイベントの『大人のライフセービング祭り』、日本初のアイアンマンレースシリーズの『SURF HEROES』など、学生の頃には考えられなかった広がりを見せていて、自分でも驚いています。
自分の活躍できる場所がどこにでもあるのがライフセービング活動です。
教育、競技、パトロール、福祉や環境への取り組み、
ライフセービングの魅力は、他の活動にはない『多様性』だと思います。
この先もずっと忘れないであろう1枚の写真があります。
大学一年生の頃に受けたベーシックサーフライフセーバー、学科の冒頭でインストラクターが触れたのは、ライフセーバーなら誰もが知っているあの有名な写真。
車椅子に座った男性ライフセーバーが放送をしている写真です。
取り組み方はどんな形だって良い、好きなこと、できることを続けていれば、ライフセービングはライフスタイルになっていくんだと思います。
決して1人では続けて来れなかったライフセービング。転換点で大きく広がってこれたのも、周りの仲間に恵まれたからだと感謝の思いでいっぱいです。
まだまだ日の浅いライフセービング人生ですが、これからも皆様と共に活動していけたらと思います。どうぞ宜しくお願い致します。
公益財団法人日本ライフセービング協会
学生本部 学生副本部長
一般社団法人 由比ケ浜Surf&Sports
Shirasu Squad SLSC 広報部
神奈川大学ライフセービング部OB