走らない、泳がない、パトロールの現場に携わったことがない私が、なぜライフセービングの活動を続けているのでしょうか?
その物語を紡ぐには、主役のライフセーバーたちにライフセービングの魅力を語ってもらうのが一番と考え、座談会を企画しました。
今回は、活動の一部であるオーストラリアのトレーニング・キャンプに参加したメンバーに焦点をあてました。全く別の世界に挑戦したメンバーの、ライフセービング活動に対する熱い気持ちを共有したかったからです。そしてメンバーのこのような物語が、私の活動のエネルギーの元となっているからです。
背景:
1993年、オーストラリア・クイーンズランド州サンシャイン・コースト地区に住む知人を訪ねた時、日本語を習っているJudi Prattを紹介されました。Judiの夫はマルチドー・サーフ・ライフ・セービング・クラブ(SLSC)の現在Governorである Mal Prattで、サーフクラブに深く関わっている人物でした。その時「日本のライフセービング界に何か手助けすることがあったら、喜んで手伝う」というありがたい申し出がありました。これは凄いこと、大切にしたいと直感しました。
その知らせは、日本ライフセービング協会を通して各クラブに伝達されました。けれども当時の日本のライフセービング界は、協会中心型から各浜で自分のクラブの設立をする自立型の組織に変更された時期。どのクラブも軌道に乗せるのに忙しく、海外からの申し出には全く反応がありませんでした。やっと1996年に下田LSCが手を挙げ、私も下田LSCの一員になって準備に加わりました。マルチドーSLSCと交流プログラムを立ち上げようということになったのです。
1999年8月8日、パトロールが終わった夕方、静岡県下田市民文化会館で、公式の姉妹クラブの調印式が催されました。マルチドーSLSCから会長以下10名来日、下田LSCのライフセーバー約80名、日本ライフセービング協会からも故金子邦親理事長がみえ、オーストラリア大使館Paul Molloy参事官、池谷淳下田市長、が証人となって見守る中、マルチドーSLSCのStan Wilcox会長と下田LSCの徳山昭秀理事長との間で「姉妹クラブ」協定が締結されました。
以来、毎年8月に、マルチドーからライフセーバーが下田にやって来ます。そして7日~10日ほど8つの浜を回りながら下田LSCのライフセーバーと一緒にパトロールをし、生活を共にします。朝練、夕練で最新の技術を披露し、ジュニアメンバーのトレーニングに参加します。
一方同じ年の12月には、下田LSCのライフセーバーが2週間ほどマルチドーを訪問します。
私たちは「トレキャン+」と呼んでいます。
両クラブは、ボランティアの委員によって構成され、予算も両クラブほぼ同じ。
マルチドー側の委員会は、Mal Pratt委員長, Mike Dwyer, Peter Dun, Alan Vidler, Fran Boulton.
下田LSC側の委員会は、宮部周作名誉副理事長、塚本沙奈国際部理事、国際部 ディレクターたち、S.T.、橋本大輔、田村祐朔、そして各浜の国際部担当者。
私? 現在の私の役割は、20数年前チコ(野村智子)初代の国際部部長と「いつの日か一緒にマルチドーの浜で、のんびりシャンペン片手に両クラブのライフセーバー同士が交流しているのを見ていたいわね」と話していた夢を追いつつ、裏方をしております。
ではこの物語の主役のヒーロー・ヒロインたちに登場してもらいましょう!
舞台は、2019年12月のマルチドーSLSCです。新型コロナ禍になる前の、姉妹クラブ交流の物語になります。
「トレキャン+2019愉しかったねぇZoom座談会」
2022年1月20日
出演メンバー(ABC順):相澤虎大、濱田明優、堀華子、稲垣春奈、野本みなみ、小俣柚椰、斎藤理久、佐々木茜、渡部夏生、吉田雄大
アドバイザー:下田LSC宮部周作名誉副理事長(マルチドーでは通訳兼付添い)
総合プロデューサー:下田LSC国際部理事 塚本沙奈(トレキャン+2012年参加)
司会:下田LSC国際部ディレクター田村祐朔
◆2019年は全員大学2年生の10名、次の夏に中心学年になるライフセーバーたちでした。(残念なことに、まさにその「次の夏2020年」は、新型コロナ禍で今までとは全く異なる難しいパトロールになりました)
小俣柚椰:
練習係としてマルチドーの練習内容を吸収してこようと思った。不安というより、挑戦する気持ちのほうが大きかった。
吉田雄大:
漠然と競技に強くなりたいと思った。弓ヶ浜は波が無い浜なので、オーストラリアは波があがると聞いていたので、強くなって帰って来たいと思った。
斎藤理久:
2つ不安があった。一つは英語。もう一つは、食生活。トレーニングに関しては、実力を伸ばそうというより、帰ってきてからのトレーニングのヒントになることを探してこようと思った。
渡部夏生:
マルチドーへ行ってみたいと思ったきっかけは、2年生の時、波が高く怖かったので。不安は、練習について行けるか、でも中心学年を迎えた時にこのままではいけないとも思った。
濱田明優:
不安は、英語が喋れるかなくらいで、外国の海に行ってみたいという思いが強かった
ことと、オーストラリアのパトロールを見てみたい、という気持ちがあった。
野本みなみ:
行く前は波が大きいと聞いていたので、不安だった。
稲垣春奈:
アメリカに何度も行っているが、ライフセービングではないので、知らない世界に飛び込むという経験で 行く前は不安だった。
堀華子:
最初は、一緒に行くまわりのメンバーのレベルが高かったので、レベル的について行けるのかが正直、不安な点だったが、お互いに話をしたり、聞いたり、考えたりするうちに楽しみが大きくなった。本場のライフセービングを間近でみて、真似できるものを真似して自分のものにしたいと思っていた。
相澤虎大:
練習の量、強度、各練習で意識するポイントなどを実際に体感して学びたい、と思っていた。行く前に、オリエンテーションが3回あり、みっちりオーストラリアについて、マルチドーSLSCについてなど、具体的な内容までかなり細かく学んで行ったので、初めてのオーストラリアでも不安はなかった。
佐々木茜:
波が高いと聞いていたので、波耐性をつけたいと思っていた。もう一つは、向こうでトレーニング中に英語が聞き取れるか不安だった。オリエンテーションでテーブルマナーなど、ためになることを学んでおいてよかったと思った。
朝5:30から6:45までと、夕方16:00から17:15までTerry O’Connorコーチのボード、またはAlan Vidlerコーチのスキーが毎日あった。Todd McSwan (Swanny)コーチのビーチ・トレーニングも。
コーチとのトレーニングについて聞かせて下さい。
堀華子:
Terryのボードのトレーニングでは、男女で前後列を分けて見てくれたり、個人個人をしっかりと見てくれていたため、アウトして戻ってきてから、声をかけてくれ、修正できていればすぐに褒めてくれたので、わかりやすかったし、自分のモチベーションがとても上がり、練習が楽しくなった。
Alanのスキーは、初めてスキーをやってみて難しかったけれど、丁寧に教えてくださり、最後には普通に漕げるところまでいけて楽しかった。
Swannyのビーチ練は、自分は今までビーチをやったことがなかったけれど、練習に楽しい要素がたくさん詰まっており、ビーチに興味を持った。
渡部夏生:
いつも下田でやっていた練習と全然違っていた。
Terryのラン・ボードは1回かと思ったら、休みなく続けて3セットだったので練習量が違っていてびっくり。また、下田ではインアウトから始まって一連の動作を続けて行うことが多いが、Terryの練習では、動作を分けて練習する場面があった。たとえばボードのインで、ボードを持たずに全力でインする、という練習。
ビーチのSwannyコーチは、本人自身が楽しんで我々の気持ちを高めてくれた。
Alanのスキーは初めて乗ってとっても楽しかった。
濱田明優:
下田LSCには練習の時、2年生の練習係がいるだけでコーチはいない。オーストラリアで練習を見ていて、どれだけレストをするか、イン&アウトはどう説明するか、を学んだ。
トレーニングは、濃い内容だったのでハードだった。一回ずつの練習が濃かった。
小俣柚椰:
Terryのボード練習は日本と違う。パドルフォーム重視より、環境や海のコンディションを利用して沖に出たりを重視しているのかなと感じた。
Alanのスキー練習は、最高だった。自分は何も出来なかったのに、スタートはどういう原理とか、力の入れる向きなどを丁寧に教えてもらい、ジャンプスタートができるようになってとてもよかった。
Swannyのビーチは、砂浜は踏み込みが難しいので、足のあげる動きが大事と体の動きをしっかり教えてくれた。
吉田雄大:
3人のコーチに共通しているのは、練習も競技も楽しむのが一番大事、と教えてくれた。
また、練習のメニューには一つ一つどういう意味があるのか、を考えながら練習をやるといいと言われた。それで練習一つ一つに意味を考えるようにしたので、帰国後に皆に自信を持って教えることが出来たし、皆も理解してくれたのでは、と思った。
野本みなみ:
どの練習も100%頭を使う、と教えてもらった。全ての人が楽しいと思って練習できるメニューだった。
相澤虎大:
想像以上に練習はハードだった。体はボロボロになったが練習内容も全て新鮮で刺激的で、2週間全力で向きあえた。
Terryからは、ボードの基礎的な部分を教わった。潮の読み方や、特殊な波の崩れ方をするコンディションでのインアウトの方法など。
Alanからは、川でサーフスキーのスタートを教わった。ここでの経験がレースにおいて、自分の得意とするスタートから前にでることが出来るようになったと感じている。
Swanny からは、ビーチスプリントのテクニックから、体の基礎的な使い方を教わった。ゲーム要素もありながら、トレーニングの内容もかなり効果的だった。
佐々木茜:
日本との違いを感じた。日本では一般的に学生の先輩が後輩に指導をするというやり方なので、オーストラリアほど指導者に力がないので、危ないことは、やらせなかったり、違うことに替えてトレーニングをするが、オーストラリアでは、指導者の判断力もあるが、取り敢えずやらせてみて、体で覚えるというような感じだった。
斎藤理久:
一番大きかったのは、モチベーション。褒めてくれる。アドバイスしてくれる、これがモチベーションになって、練習がとても楽しかった。
帰国後、後輩には、よいパフォーマンスをしたら、褒めるようにしたい。
◆公式日程には、朝食後、昼食後には、サーフ練、ボディサーフィン練、ビーチ練、ジムや浜で筋トレのセッション、クロス・トレーニングとしての山登り。その合間に、クイーンズランド州協会(SLSQ)への表敬訪問、サンシャイン・コースト地区協会の”Surfcom”ライフセービング・ネットワークのオペレーションの見学、オーストラリア文化や生活を学ぶためにオーストラリア動物園、大きなショッピングセンターへのツアーなど盛沢山の日程。そのため、サーフ・クラブへ帰ってくると、ほんの数分の時間でも、皆、ダッシュでベッドへ倒れ込んでいた。
斎藤理久:
日本では、オーストラリアでは未然に防ぐ、といういうスタンスが強いと聞いていたが、実際はここでは何かあったら行く、ということだった。その根底には、ライフセーバー以外の海に来る人たちの海に対する認識の違い、オーストラリア人の意識の高さから来ていると思った。
オーストラリアは、遊泳客はエリアをちゃんと守っていた。
稲垣春奈:
ライフセーバーのペーシェントに対する処置の幅の広さ、具体的にはオクシジョン(酸素)のボンベがタワーに置いてあったりして驚いた。また、平日のプロのライフガードは、中央の監視タワーの部屋で“Surfcom“のモニターを使って監視をしていた。
佐々木茜:
オーストラリアの医療的行為のできることの幅の広さにびっくりした。遊泳客のマナーの良さにも驚いた。
小俣柚椰:
資器材は最先端のものが入っていた。また、2本のフラッグを使って離岸流のないところに常に移動させていたので、下田のパトロールの時、中心学年となったタワーのキャプテン同士で話し合って、旗を移動させた。
野本みなみ:
パトロールの時、浜全体が見渡せる高いところに中央の監視タワーがあって合理的だし、効率的だと思った。日本の場合は、学生中心に浜でパトロールしているが、マルチドーでは、年齢の幅が広い。パトロールをしていて、いろいろ学んでいけるのでいい環境だと思った。
IRBは、運転の仕方も、我々とレベルや経験が違ったことを実感。
相澤虎大:
参加しているメンバーの年齢層も幅広く、各人の役割が明確に分担されているため、一つのチームとして成り立っているように感じた。また、海水浴客自身の海の危機管理能力も高く、ライフセーバーの注意をしっかり聞いていた。
堀華子:
日本とのパトロールの違いと、オーストラリアの器材の豊富さに驚かされた。また、オーストラリアでは一人一人が海の危険性について理解しているため、円滑なパトロールが出来ていて、すごいなと思った。
◆さて、マルチドーSLSCでは、下田LSCのために「食事担当」のボランティアチームもFran Boultonを中心に動いている。朝食、昼食はおかわり自由。そして夜はメンバー宅へ招かれる。2019年の写真でほんの一例をご紹介する。
毎年招待してくれるJim & Julie McMullen夫妻は、毎回オーストラリアの家庭料理「Roast Dinner」を、Wade & Judie Lee夫妻は、学生の好きなカレー、鶏のから揚げ、Alan & Ingrid Vidler夫妻は、下田LSCパトロール後の夕食でおなじみのタコライス。そしてどこの家でも食後のデザートでは歓声があがる。
渡部夏生:
波が完全に怖くなくなったわけではないが、確実に自信がついたとは思っている。また、日本では練習が楽しいという意識はなかったが、一つ一つ練習が楽しかった。全てが楽しかったので、また、皆で卒業旅行にマルチド―に行こうと決めていた。
(久松:ナツキは、高校までゴルフをしていたので、大きな波には最初は抵抗があったようだ。でも楽しいトレーニング・キャンプだったので、卒業旅行でまた行きたいと計画。残念ながら新型コロナ禍でそれも出来なくなった。大丈夫。社会人になっても皆でいきましょうね。)
堀華子:
帰国後、同期に波乗りスキルやボードのインアウトがびっくりするほど上手になったね、と褒めてもらえるようになった。そこから私自身、自信を持って練習することができるようになった。また、大人になってから初めての海外で、今後も海外旅行などたくさん行って自分の知らない世界を知りたいと思った。
(久松:ハナコは、コーチの言うことを素直に聞き、言われた通りに果敢に海に入っていたので、自信がついてよかった。)
濱田明優:
コーチングが勉強になった。練習には、下級生のみでなく、全体をみるコーチ、リーダーが必要だと思った。先輩から「オージーはうまい」と聞いていたので、Beau (Farrell。U14からボードで活躍。クラブのレジェンドの一人) の波乗りを見ていた。話を聞くというよりは、実際にまねをしてみると自分もうまくなっていたので、単純に「ああ、そういうことをすればいいんだ」とわかって嬉しかった。
(久松:彼は普段から練習熱心。また、マルチド―ではリーダーとして、私と夫がワカモノの中に入りやすいように気遣いをしてくれていた。)
稲垣春奈:
マルチドーへ行ったメンバーでインプットしたことを、行かれなかったメンバーに還元して、再確認した。どうやったら、ライフセービングを好きになってもらえるか、初心を思い出したし、もっとライフセービングが好きになった。
(久松:ハルナには通訳としての経験もしてもらったので、これからどう活躍してくれるか楽しみ。)
吉田雄大:
帰国後、自分の浜で一つ一つ練習に意義を見出して還元した。また、全体の下田合宿でも皆に教えることが出来て、自分にとっても良い経験だった。
海外と日本の文化の違いも学べた。新しいこと、知らなかった世界に興味を持ったり、そういう経験が2週間に凝縮されていて、挑戦することの大切さを学んだと思うので、何事にもチャレンジして頑張って行こうと思った。
(久松:弓ヶ浜が下田LSCから独立する時だったので、ユウダイがマルチドーに行った弓ヶ浜の最後のメンバーの一人になってしまった。でもユウダイならマルチドーでの経験を、過去に行った先輩と一緒に受け継いでいってくれるだろう。)
小俣柚椰:
練習内容がすごいと思った。取り入れたいと思ったので、今までの白浜では練習係が2年生だったが、それではマルチドーで得た知識が伝わらないとキャプテンと話し合い、中心学年の3年生に替えた。また個人的に、マルチドーのユースの子と練習する機会があった。もう少したたかえると思ったが、同学年に負けていた。年下の子にも負けた。行く前と違った。心がくじけるくらい、レベルの差があった。新型コロナで合宿ができないとなった時、海の知識は海に行くのが一番効率がいいので、休みには海に遊びに行った。
(久松:ユウヤは2021年1-3月の毎週土曜日、下田LSCの全体練習会に競技部の学生部長として皆を引っ張って行ってくれて、クラブに大きく貢献。)
斎藤理久:
大学1年目からマルチドーに行きたくて、行きたくて、行けて本当に良かった。ライフセービング人生の中で大きなイベントだったと思う。トレーニング方法で、自分が気になっていたことを、マルチドーでアラン・コーチに個人的に聞いて詳しく丁寧に教えてもらったり、若い(ティーンエイジャーの)Rubenが親切に教えてくれたりして解決した。聞いたことを持ち帰ったお蔭で、我流の知識ややり方のトレーニングではなく、後輩に指導しやすくなったし、説得力が出来た。特に、新型コロナ禍で練習が思うように出来なくなった時に一番の指針になったことが、マルチドーで教えてもらったトレーニング方法だった。そのトレーニング方法を続けた結果、2021年10月、無観客で開催された「全日本ライフセービング選手権大会」の時、ボード・レスキュー種目で相棒の相澤虎大と組んで4年生で3位となってよい成果を出せた。もう一回マルチドーのコーチングタイムを下田の浜で再現して、感じてもらいたいと思っている。
(久松:リクの下田LSC全体合宿はオミクロン株のため延期となってしまった。でも彼は指導する立場でもこれからも活躍してくれるだろう。)
相澤虎大:
ライフセービングが国民のライフスタイルの一部として馴染んでいる環境にとても魅力を感じ、本場でライフセービングともっと向きあって、学びたいと思うきっかけとなった。
(久松:コダイは、サーフ・スポーツでもJLAのハイパフォーマンス・チームの一員で活躍。下田育ちなので、小さい時からライフセービングを身近で見ていたし、ジュニアにも入っていたので、人一倍ライフセービングへのこだわりが強い。)
野本みなみ:
練習中に、考えながらできるようになった。これが大きく変わったことだと思う。何に気を付けてチェックをするか、というくせがついたので、後輩たちに教える機会がある時に伝えられてよかった。ライフセービングだけでなく、いろいろな面で視野が広がった。
ライフセービングに関しても、学生だけで終わるのではなく、ちょっとずつでも、何歳になっても生活の一部になるようにという考えを持つようになった。
(久松: ミナミは、サブチーフとして新型コロナ禍の中、中心学年で皆を支え、事務局など、裏方の先輩たちとの連絡も多かった。「ライフセービング活動は、パトロールの現場だけでなく、水面下での仕事もたくさんあるので、ぜひ手伝って」、という塚本沙奈理事の声あり。)
佐々木茜:
オーストラリアの方々がとっても優しくて目が合うと笑いかけてくれることが嬉しかった。とても貴重な体験をさせていただいて、下田LSCとマルチドーSLSCの代々先輩方が築きあげてきた関係があるから、こんなにもよくしてもらえるのだと感じた。
(久松:アカネは下田LSCのジュニアから始め、現在は独立した南伊豆のメンバー。洞察力に優れ、客観的に物事を見られる。将来も福祉の場で、ライフセービング活動で、活躍を大いに期待している。)
あとがきにかえて:
佐々木茜が言ってくれたように、まさに、下田LSCもマルチドーSLSCも、この姉妹交流プログラムを先輩たちが、
一年一年大事に大事に積み重ねてきました。そのお互いの信頼のもと、22年間続けてこられました。
太平洋という広大な海をはさんで同じ目的を持ったライフセーバーたちは、現在はメンバー同士がインスタグラムなどSNSで新型コロナ禍という状況下でもつながっています。
もちろん、このような公式の姉妹クラブの交流には、見えないところでの大きな協力がなければ成り立ちません。
(1)まず、下田LSCには、26年という長きにわたるスポンサー、(株)SHIPS様のサポートがあります。そのサポートのお蔭で、マルチドーからのメンバーを招聘した時に、パトロール用のユニフォームを含めお世話になっています。
(2)次に、マルチド―SLSCのRob Elford現会長、下田LSCの山口智史現理事長を始め、代々の両方のクラブ代表と執行部がしっかり姉妹クラブ交流プログラムを理解してくれています。
(3)そして最大のサポートは、お互いに知り合うことに興味を持っている双方のたくさんのクラブ・メンバーたちです。このメンバーのみんながいなければ、姉妹交流のプログラムは継続してこなかったのではないでしょうか。
私と夫は、毎年欠かさず8月にはマルチドーからのライフセーバーを下田に迎え、12月にはマルチドーへ行っています。実は、この交流は「ゼロからの出発ならぬ、マイナスからの出発」でした。もちろん山あり、谷あり。ボランティア活動のライフセービング。公式姉妹クラブ提携は世界でも珍しいとか。そのため、前人未踏の道なき道を走ってきたような気がします。全てが試行錯誤の連続でした。でも姉妹交流を始めた時のマルチドーSLSCと下田LSCの両方のメンバーに”Mentor“と慕われていた故Stan Wilcox会長の言葉、「これからの若者たちは、もっと大きく視野を広げて欲しい。ライフセービングだけでなく、人生の幅を広げ、深い人間になって欲しい」。その言葉のお蔭で、そのつど双方のクラブで知恵を出しあい問題を解決してきました。また下田LSC側には、第一回のメンバー堀内恒治が、マルチドー同窓会の会長になって、私たちの相談役をしてくれています。
この座談会でもおわかりのように、行く前は、皆、不安と期待が入り混じった表情を浮かべています。
そして、マルチドーに到着し、下田に来たマルチドーの顔なじみのメンバーがトレーニングにはかならず参加して手伝ってくれるので、ちょっとほっとします。
海に入り始めのころは、私は心の中で、「その波、越えて」と念じながら、練習が終わるまで波打ち際で、皆の後ろ姿を見守っています。
でも、たった8日間で全員が、どんな波が来ても波裏にいとも簡単に、
あっという間に出て行くようになります。
毎年22年間、同じです。
その皆の勇姿をみて、皆の達成感が、私は自分のことのように嬉しい。
そして滞在中、日を重ねるにつれ、笑顔が増し、行かれなかった下田メンバーへの配慮を口にしたり、顔つきがしっかりしてきたり、自分でも知らないうちに人間的にも大きく成長している、その変化を近くでみられるこのワクワク感。私には何ものにも代えがたい大きな喜びであり楽しみです。
このトレキャン+2019のメンバーたちのように、最終日には目を輝かせて海に入り、またマルチドーに帰って来たい、と言っているのを聞くと、……..私はライフセービングのボランティア活動が出来ることに感謝しながら、この裏方の役割がやめられなくなるのです。(終)
久松晶子
下田LSC所属 名誉副理事長
マルチドーSLSC所属 名誉副理事長
1987年~大竹SLSC、湯河原LSC、下田LSC、Maroochydore SLSC
勤務先の豪日交流基金がライフセービングを支援していたので、オフィスにいつもライフセーバーが訪ねて来ていた。そして、下田LSCのメンバーに大会を見に来てください、と何度も言われていた。1987年頃一人でこわごわプールの大会に行ったら、私のことを誰も知らないのに、たくさんのメンバーが飛び切りの笑顔で「こんにちは!」と声をかけてくれた。その瞬間、ライフセービングを、仕事を離れたボランティアとしてやりたい、と思った。
これがライフセービング を始めたきっかけです。