・ライフセービングをはじめたきっかけ
皆様はじめまして、樋口大輔と申します。
今回このコラムのお話をいただいた時に、何の実績もない私がですか?が一番最初の感想でした。
49歳でベーシックを取得し、わずか2年の私の動機とその後の活動についてご覧下されば幸いです。
私の住む志摩市は伊勢神宮などで有名な伊勢志摩国立公園にあり、風光明媚な景色、海に囲まれた地域です。
私も約20年前に東京より移住し、もはや第二の故郷から本当の故郷のように感じて暮らしております。
移住してから今日に至るまでずっと感じていたのが、美しい海水浴場はあるものの、
監視員やライフセーバーがいない地域であり、
都会の小中学校と違って学校にプールがない施設が大半ということでした。
普段の私は素潜り漁師(男の海女さん)をしております。伊勢志摩地方は全国一海女さんがいます。
この地域はどちらかといえば、泳げることよりも深く潜れることに価値があります。
深く潜れて、長い時間息を止められることこそが、稼ぎにつながるからなんです。
海女さんが海から上がってこない、テトラに引っかかった、漁師さんが船から海に落ちた。
毎年、数名が命を落としています。
しかしそれも、この地域ではよくあること、仕方ないことと捉えてきておりました。
そんな数年前、以前住んでいた家の隣の高校生が近くの海水浴場で溺れ亡くなりました。
これには大変ショックを受けました。
同じ命ではあるものの、命を掛けた仕事をする海女さんと、若い将来ある子どもが海で無くなるのは意味が違います。
学校にプールがない、泳げない子どもがたくさんいるこの地域を何とかしなければ・・・
から私のライフセービングははじまりました。
地域でこれらの問題を訴えるためにもまずは自分自身がライフセーバーの資格をとらないと
説得力がないということで、ベーシックを取得。
取得2か月後に地域クラブを立ち上げ、3か月後にはNPO法人を設立しました。
私が幸運だったのは、この地域に大学でライフセービング部に所属していた若者が住んでいたことです。
彼ら彼女らは進んで協力してくれ、
何もわからない私に本当にたくさんの助言をしてくれました。
クラブ立ち上げに際し、失効していた資格も復活してくれました。
信じられないかもしれませんが、ライフセーバー?何それ?という地域も実際ありますし、
私が住むこの地域もそれに近い環境です。
まずはライフセーバーを知ってもらう、認知度を上げるところからスタートしました。
・活動の様子
とにかく積極的にイベントや海水浴場にてライフセーバーシャツを着て動き回りました。
テレビや新聞の取材にも多数出ました。
こうやって少しずつ地域でもライフセーバーの認知があがってまいりました。
50歳手前でベーシックを取得した私に、最前線でなにが出来ましょうか?クラブ設立から私の役割は明白です。
①次の世代に引き継げる法人組織をつくること。
②行政の支援提携を早期に結ぶこと。
③安定した財務体質をつくること。
若い人たちが安心して組織運営をできるように道なきところに道を作ることこそが、
私のライフセーバー人生なのかもしれません。
・ライフセービングでの経験
前述のとおり経験はほとんどありません、大学2年生の皆さんと同じです。
クラブも出来立てですし、伝統も歴史もありません。
すべて一からです、日々学ぶことだらけです。
熱い想いで突っ走っているだけですが、動かないとはじまりません。
有難いことに愛知県協会、愛知ライフセービングクラブの皆様が発足まもない伊勢志摩LSCのために本当に骨を折ってくださってます。
2023年秋、ついに当地でベーシック講習会を開催していただけたことは万感の思いでありました。
そして何より重要なのは継続していくことです。
50歳からはじまったライフセーバー人生ですが、人を助けるだけでなく、地域を助け、支え合う。
地域の若者がライフセーバーになりやすい、
また活動しやすい環境づくりのために残りの人生を捧げていきたいと思っております。
関東、静岡、愛知から30年近く遅れた地域ではありますが、
今からでも地域クラブは生まれて育っていくんだということを全国のクラブの皆様、
ライフセーバーの皆様が温かく見守ってくださいましたら幸いでございます。
ご覧いただきありがとうございました。
1971年宮崎県生まれ。学生時代まで東京、大阪、京都ですごす。
2006年三重県志摩市に移住。漁業、農業に携わる。
2021年ベーシック取得、同年NPO法人伊勢志摩ライフセービングクラブ設立 現在代表を務める。
趣味はマリンアクティビティ全般。球技スポーツ全般、特にラグビー。家庭菜園など。
好きな言葉は「一期一会」