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私とライフセービング

Vol.51 – 遊佐 雅美 / Masami YUSA

2024.01.01 (Mon)

【ライフセービングとの出会い】

1992年に東京健康科学専門学校(ウエルネス)に入学。
救急法の授業で、日本ライフセービング協会前理事長の恩師でもある小峯力氏の言葉だった。

『あなたの目の前で愛する人が溺れていたら助けることができますか?』の問いかけだった。

何もできない無力な自分がいた。同時に、何か人の役に立ちたいと思いライフセービングを始める。
気が付けば、今年でライフセービング歴31年。
多くの仲間との出会いと後輩が育っていった。

初めてガードに参加した時の記憶は監視よりも暗黙のルールを今でも忘れていない。監視本部でお昼ご飯を食べる時は海に背を向けて食事はしない(すぐに監視に入れるように)。電話はワンコールで出る。スコップの持ち方や、本部の前の直線はダッシュする。怒られないようにガードした記憶しかない。でも厳しい中にも監視の仕方やお客様に対する対応や礼儀を学ぶことができた。

若い頃はいろんな海で監視を行いたいと思い、鎌倉(神奈川県)・熱海(静岡県)・大竹(茨城県)・西浜(神奈川県)と監視活動の場所を変え、現在は新潟県柏崎市に拠点を置き夏の監視活動に携わっている。

中でも一番長く拠点を置いた、西浜SLSCの存在は大きい。ライフセービングを生活の一部にしたと思い友人と海の近くにアパートを借りて憧れの湘南生活をスタートさせた。近所に仲間がたくさん住んでいたので、海に行けば誰かに会える環境があり、年間を通じて海と親しむことができた。家族のような存在の仲間にもたくさん出会えた。私にとってライフセービングと海を愛する仲間と居られることはかけがえのない大切な時間と存在だった。

ここ数年は、新潟県柏崎市に生活の拠点をおき社会人になった今でも事務の仕事を続けながら約1か月間フルで監視活動を行っている。職場の理解や周りの仲間に支えられ、恵まれた環境で活動を続けることができている。

【ライフセービングスポーツ】

ライフセービングを始めた当時は、競技会があることを知らなかった。1992年に、日本(静岡県下田市)で初めてRESCUE92世界大会が開催された。選手の集中力と緊張感が伝わり、ルールもわかりやすいビーチフラッグスにすっかり魅了されてしまった。

中・高校と競技上の短距離をしていた私はこの競技で、世界一を目指したいとその時にすでに目標がきまっていた。2年後に初めて出場した世界大会で、鯨井保年さんとアベック優勝を果たすことができた。そこから4度の世界タイトルと全日本で通算22回優勝をすることができた。でも、いつしか勝たなければいけないと思う気持ちが強く芽生えプレッシャーと緊張と不安で押しつぶされそうになっていた。その頃から、心からビーチフラッグスを楽しむことができなくなってしまった。競技から少し離れてみようと思ったことは何度もあったが、諦めると言う選択肢がない私はいまだに続けている。ここ数年は、気持ちがリセットされ、一回り以上年が離れた選手(いや・・・30歳以上だ(笑))と競い合える環境とその場に立てることがとても楽しい。いずれ訪れる競技から一線を引く日まで全力で挑戦したい。

 

【これから】

これからも、ライフセーバーの夫と力を合わせて海辺の安全とライフセービングの普及・育成をおこない、私が今まで学んだ知識と経験を若いメンバーに伝えてゆきたい。

柏崎の海に訪れたお客様が、「楽しかったね。また柏崎のきれいな海に来たいね。」と笑顔で言っていただけるように。

 

ライフセービングを通じて出会った全ての仲間に感謝の気持ちを込めて。

遊佐 雅美(池谷)
Masami YUSA

1973年生まれ

所属:

柏崎ライフセービングクラブ

新潟県ライフセービング協会(事務局)

 

取得:

BLS,WS,PLG,サーフ指導員

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