「一緒に海を守らないか!」
高校生の自分に声をかけてくれた柏崎ライフセービングクラブの池谷社長の一言で、自分のライフセービングが始まった。
5歳から水泳をしてきた自分は、何となく(軽く出来るっしょ)という根拠のない自信を持っていた。
初めて監視台に立ってから4年、専門学生だった20歳の夏、重溺事故に遭遇した。
地元の海女さん達の「こっちだよこっち」の声を追いかけ遊泳区域外の岩場の裏へ行くと、そこには意識の無い男性が半身海水に浸かってうつ伏せになっていた。
発見の遅れ、未熟な蘇生法、事故を未然に防ぐという意識の欠落、自分は何でも出来るという根拠のない自信のせいでライフセービングに甘えが出ていたのだろう。
傷病者の男性家族の青褪めた顔の記憶、目の前の命を助けられなかった後悔を抱えたまま社会人になり、段々とライフセービングから疎遠になっていった。
30歳を過ぎ、転職を機に埼玉県へ引っ越した。すると柏崎を離れたからこそ、柏崎に貢献したい気持ちが猛烈に強くなった。その思いを伝えると、池谷社長は快く自分のカムバックを認めてくれた。
空白の10年を取り戻すかのようにライフセービングに没頭した。
平日は本業の大型トラックの整備士、週末に、時には有休を組み合わせ、片道250kmの道のりを未明に海へと走る。監視活動を終えたら日が沈むまで仲間とトレーニング。翌日の本業に支障が出ないよう埼玉へ帰る。万が一の時に備え、日々の残業後もトレーニングジムへ通い筋トレ、水泳で体力を養いメンタルも鍛える事も怠らない。
「わざわざ埼玉から来ているの?」「すごいね、よくそこまで出来るね~」
海水浴に来てくれたお客さんとの雑談中によくあるやり取りだが、本業も距離も正直関係ない。自分を必要としてくれる、受け入れてくれる仲間が居る。過去の後悔…その気持ちもあるが、海が好きだから、そしてやりがいがあるから、やれる。
海に来てくれた全ての人が笑顔で帰り「また海へ行きたいな」と思ってくれるように。その為に自分は今年の夏も毎週末海へと走る。
This is My Life
一生懸命にライフセービングをした先にしか見えない景色がきっとある。40歳を過ぎた海なし県在住の一般企業サラリーマンの自分にだって出来る事はきっとある。いやむしろ、自分にしか出来ない事だってあるだろう。
今度は自分が若い人達を誘いたい。
「一緒に海を守らないか!」
1984年生まれ
国家一級自動車整備士&検査員
BLS&WS指導員
柏崎ライフセービングクラブ所属