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私とライフセービング

Vol.71 – 竹内 啓 / Kei Takeuchi

2025.05.30 (Fri)

学生時代はライフセービングに取組むが、社会人になると徐々に離れる人が増えてくる・・・という現状があるそうですが、私がライフセービングと出会ったのは27歳とやや遅めです。

小学校から大学まではサッカー部でインターハイに出場。大学では野外教育を専攻し、自然の中でアグレッシブな活動をしながら研究をしていました。社会人になってからは競技志向のフットサルチームに所属をし、全国大会での優勝などを経験、世間でいう「家でじっとしていられないアウトドアな趣味人間」は、運命的な出会いと導きで大学卒業後は消防士の道を目指します。

誰にも負けない気合と根性で、人命救助という仕事に魂を燃やしていたように思います。仕事をする中で、自分に衝撃的な影響を与えた出来事が3つあり、その一つが「東日本大震災」でした。ずっと憧れていた救助隊に配属をされた年に震災が発生をし、京都府から約900km離れた東北地方のある地域に、緊急消防援助隊の一員として派遣をされました。

どれだけ熱意や気持ちがあっても、なんの経験も技術も判断力も持ち合わせていない無力な自分の現実が突きつけられ、悔しくて申し訳なくて仕方ありませんでした。

この経験から自分を変えたくて、公私を問わずお金や時間をかけ、仕事に役立つ様々な資格取得や勉強会・訓練会を探しては受講をする日々が始まります。その中で「あれ?目の前で溺れそうな人や溺れた人を救助するには、具体的に何をしたら良いのだろう?」という業務外にはどうするかのシンプルな疑問から、インターネットで検索をし「日本ライフセービング協会」という団体を見つけました。そして京都府近隣でベーシックサーフライフセーバーの資格を取得しようと動き出します。

当時27歳だった私は、ベーシックの資格さえ取得できれば良かったのですが、京都で活動をするライフセーバーと出会い「事故の未然防止」という、これまで私が考えてもいなかった概念を教えてもらいました。また当時のライフセービングクラブには、消防士は私だけだったように記憶しているのですが、未然防止のために限られた人数と資器材の中で本気で考え、意見を出し合って取り組む人たちが、熱く魅力的な存在に感じて今後もこのクラブでライフセービングを続けていこうと決めました。

活動を続ける中で、当時クラブ代表だったジャックさん(現京都府ライフセービング協会山本理事長)にアドバンスやインストラクター資格の受講を勧めてもらい、信頼する方からのオススメは断る理由もなくチャレンジをしていきました。

中学生の時から、心の何処かで将来は体育の先生になろうかと思っており、大学では教員免許を取得していました。長く使うことのなかった学びや資格が、時を経て今ではライフセービングの指導者として人前に立たせて頂く機会も増えました。ガソリンで動く乗り物が大好きなのですが、さらに海での乗り物も増えてきました。資格やスキルが増えてくることでその判断や選択肢が広がり、日本の各地で活躍するライフセーバーの皆さんと出会い繋がることで、更に新たな価値観や経験が増えてくる事に喜びを感じています。

またライフセービングは今や私のライフワークとなり、公務員という仕事と両輪の関係にあると捉えています。ライフセービングの価値を高め、社会から地位を認めてもらうためにも、私は公務員として職場に「営利企業従事届」申請し、職場の理解と許可の元で謝礼を受け取って活動を継続しています。この経験で得た知識が、全国で悩まれている公務員ライフセーバーの参考になれば嬉しく思います。

最後になりますが、私は「ライフセーバーは間を繋ぐ存在だ」という考え方が好きです。海と陸を繋ぐ、人と海を繋ぐ、海保と消防を繋ぐ、消防と警察を繋ぐ、行政と観光を繋ぐ、教員と生徒を繋ぐ、親と子を繋ぐ・・・人命救助の最前線で働いているからこそ、こんな事にならないための未然防止とその教育がいかに重要かと痛感しています。

今後も現場に立ち続け、日本全国でライフセービングスピリットを人に伝え続ける存在でありたいと思います。もちろん、自然と遊ぶ楽しさを何より知っている者として。

竹内 啓
Kei Takeuchi

アカデミー本部 ウォーターセーフティ委員長
BLS・WS・サーフ・プール・IRB指導員
救助救命本部 パトロールレスキュー委員
NPO法人京都府ライフセービング協会 社員
天橋立ライフセービングクラブ 所属

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