私とライフセービング
ライフセービングとの出会い
神奈川県茅ヶ崎市、海が近くにある環境で生まれ育った私のライフセービングとの出会いは高校生の時でした。
幼少期から身体を動かす事が好きで気付けば漠然と日体大への進学を目指すようになり、その思いがきっかけで日体大荏原高校に進学。入学当初はライフセービング部の存在は知らず他の部活をしていましたが、一年時に退部してしまった頃に担任であった北矢先生から勧誘を受け、家が海に近い事もあったので親近感もありライフセービング部に入部しました。
当初はライフセービングについてあまり知らずにいた自分でしたが、北矢先生の熱い思いや活動を続けていくに連れて魅力に惹かれてのめり込んで行きました。ライフセービングスポーツの練習が大好きで特にビーチフラッグスの練習に打ち込んでいました。
「鍛えれば鍛えるほど安心感を与えられるライフセーバーになれる」
この言葉がトレーニングを後押しし、今までしていたスポーツとは違う感覚でした。一日中ライフセービングの事を考え没頭し、今までに無い充実感を味わいながら過ごせた記憶があります。

大学ライフセービング
その後日本体育大学に進学、ライフセービング部に入部。伊豆七島である神津島にて監視活動を行いました。
「一夏を無事故で終える」この一つの目標に向けて仲間と全力を尽くす。ぶつかる事も多くありましたが、その分それぞれが成長し深まっていく感覚。目標があり、仲間がいたからこそ紛れもない「全力」で日々を過ごす事が出来ました。この経験は自分大きく成長させてくれました。そして共に過ごした仲間は今では家族のような存在です。

4年目にはライフセービング部の主将を務め、日体大ライフセービング部の目標として「四大大会制覇」「夏の無事故」を掲げて活動をしていました。
さらに自分なりに密かにもう一つ目標があり、それは部員全員が「ライフセービングがより好きになる事、誰一人欠けない事」。ライフセービングは決して楽な活動ではありません。それが故に特に1年目に退部してしまう部員も毎年多くいました。 せっかくライフセービングに巡り会えたのに辞めて行ってしまう。その状況をとても残念に寂しく思っていました。
「誰もが誰かのライフセーバーになれる」この言葉が自分の中で可能性を広げてくれました。それぞれのライフセービングの捉え方を尊重し、1人も欠けないチーム作りを目指しました。上下関係が厳しい日体大で賛否もありましたが、学年隔てる事なくコミュニケーションを取りやすい環境を仲間と作り、自身が主将を務めた1年間は退部者が1人も出ませんでした。記録に残る物ではありませんがこれが主将を務めた上での1番の誇りです。

現在のライフセービングへの関わり
社会人になり、高校生から毎日のように仲間と顔を合わせてトレーニングをしていた日々とは打って変わり1人で向き合う時間が多くなったと感じました。寂しさもありましたが、新しい環境に入り自分の中にたくさんの可能性が生まれた面もありました。その中の一つとして今はアーティストとして活動しています。一見ライフセービングとは関係無いようにも見えますがライフセービングで出会った「誰かの為が自分の為」 が音楽にも重なり合う部分があり惹かれて行きました。1st single「Save Life」ではライフセービングへの思いを綴っています。ライフセービングで培った考え方を今も大事にしており今もこれからも人生の基盤であると思います。
恩師である北矢先生、そしてライフセービングと出会ってから情熱を持って人生を歩んでいます。あれからどこにいて何をしていても生涯ライフセーバーであります。自分なりに新たな可能性を見出し挑戦、体現し続けて行きたいと思っています。

日本体育大学荏原高等学校ライブセービング部(3期)
日本体育大学ライフセービング部(35期)
神津島ライフガード
Doro’s