高校3年生、兄の母校である東海大学にちょっとだけ興味があり入試案内を見ていたらライフセービングクラブの紹介が載っていました。これがライフセービングを知ったきっかけです。その中に、「ライフセーバーは夏場に海水浴場などで人命救助にあたるのが使命である」と記載されていて、家族で海に行くことが好きだったけど、何も考えずに遊んでいたことをふと気づかされ、大学でこんな活動ができたら元々海は好きだしいいなと思い、気づいたらライフセービングクラブのある大学を探していました。

その後、東海大学へ入学。実は大して泳げないし走るのも苦手で笑 ライフセービングなんかできるのか?と不安になりながらも説明会に行き、一緒に参加していた同期に「明日の練習でね」と声をかけられたのでそのまま入部。そして配属が決まった浜は「二宮」。ここからが、私のライフセービング人生の始まりです。
小学6年生までスイミングは通っていたものの、入部当初はまったく泳げず、腰掛キックから練習をしていました。なんの取り柄もなかったので、練習だけはまじめに行っていたのを思い出します。

その甲斐もあって、大学4年間は、ライフセービングに多くの時間を費やしアドバンスサーフライフセーバーを取得できるまでの泳力を身につけることができました。
競技関係では特に秀でたものを得られず大学卒業の時期を迎えましたが、「やめる」と言う言葉が頭をよぎることはありませんでした。それは4年間を通してたくさんの人と出会えたことで、「ライフセービングが生涯スポーツであり、いくつになっても続けられる活動であること。」「この活動が、社会貢献につながること。」そして私自身、「海水浴に来た子どもたちが笑顔で帰っていく姿を見たい。」というこの思いが、私のライフセービングの機動力となっていて、それは永遠に変わらないと気づかされたからです。

新社会人となってからは、思うように仕事との両立ができず悩んだ時期もありました。運動量が劇的に減り、過去最高体重の大台に乗る始末。ライフセービングの運動量のすごさを、身をもって感じた時期でもありました。体力的にも精神的にもライフセービングと向き合えるようになったのは、それから2年くらいたった頃だったと思います。そんな中、卒業から3年後の9月。1週間前まで子どもたちが遊んでいた二宮袖ヶ浦海岸が、台風9号の影響で跡形もなく消え去りました。西湘バイパスの土台だけが残り、打ち付けられる波を見た時は、言葉を失いショックを隠し切れませんでした。その後、西湘バイパスの修復作業が始まり、海岸の復旧も始まりましたが、砂はそんなにすぐに戻ってくるわけはなく、二宮袖ヶ浦海水浴場は閉鎖のままとなりました。いつか砂が戻って二宮でガードできることを願い、社会人になってから住み始めた茅ヶ崎で細々練習は続けていましたが、海岸が戻ることは何年・何十年先になるかわからないことはわかっていました。もう一度しっかりガードがしたい。そんな思いを抱いていた時に、茅ヶ崎SLSCに泳げる女の子が加入し、スキーを漕げる私が入ることでリレーが組めるのではと思い移籍を決意しました。移籍のきっかけとなった女の子とは、茅ヶ崎同期として今も一緒に活動しています。

茅ヶ崎に所属してからは、いつかはジュニアを!!という思いで2年前、4~5年の歳月をかけてようやくジュニアチームを立ちあげることができました。茅ヶ崎はビーチカルチャーが定着している地域なので、地元に根付いたライフセーバーの育成が水辺の事故防止につながるのではないかという思いから発足を決めたのですが、発足までにこんなにも時間がかかったのは、紛れもなく「新型コロナウィルス」の存在でした。はじめは、子どもたち対象のイベントを実施しライフセービングに触れてもらう機会を作るところから考えていて、あとは募集を開始するだけという時にコロナが流行し、ジュニアどころかガードすらもできない状況に追い込まれました。2022年からは制限はあるもののガードができる状態にまでなり、海水浴場開設期間に30分のキッズイベントを企画・実施。そこから毎月1回イベントを実施していきました。その流れを継続し、ジュニア募集のチラシなどを配布しながら少し軌道に乗ってきた頃に本格的にジュニアチームを発足し今に至ります。
当初は集まるのか不安で、どんなことをやれば良いのかどのように進めていけばよいのかみんなで話しながら進め、現在地域内外問わず11名のジュニアが活動しています。2年経った今は、子どもたちのレベルが上がってきており練習内容のマンネリ化や指導者の確保に頭を悩ませておりますが、学生も巻き込んで一緒にやっていくことで、ジュニアだけでなく学生にとっても良い刺激となっているように感じています。最近、ジュニアの活動を通して得た知識や技術を、学校で発表したり友だちに教えたりと子どもたちから発信していることを知り、良い連鎖が生まれているなと実感しております。今後は、ジュニアメンバーだけでなく地域の子どもたちにも普及できるような活動も視野に入れたいなと密かに思っています。

ライフセービングを始めて25年。紆余曲折あり腑抜けた時期もありましたが、こんなにも続けられているのは、周りの人・環境のおかげであり、ライフセービングの活動そのものが「楽しい」からだと思います。
日本では大学生から始める人が大半を占めるライフセービングですが、ライフセービングは、単なるスポーツではなく社会勉強もできる生涯スポーツ。何歳から始めても携わり方は多種多様にあり、楽しさの見出し方もいくらでもあるのが、この活動の良いところであると考えています。
私自身も海岸の監視活動以外の活動をしてみたく、IRBクルー資格を取得し東京オリンピックのガードに従事してみたり、サーフアシスタントインストラクター資格を取得し母校の資格講習に従事したりと活動の場を広げています。
いつまで体力が続くのか、いつまでこの生活を続けられるのか日々考えて過ごしていますが、海水浴場に遊びにきたお客様の笑顔を見られるように、まだ見えていない世界に出会うためにも、健康維持も兼ねてトレーニングに励み、自分のできる関わり方でライフセービングを楽しんでいきたいと思います。

東海大学湘南校舎ライフセービングクラブCREST OG
茅ヶ崎SLSC/二宮LC
<取得資格>
JLA サーフライフセーバーアシスタントインストラクター
JLA IRBクルー
JLA リーダー
2級船舶
特殊小型船舶