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私とライフセービング

Vol.89 – 市川 巧基 / Kohki ICHIKAWA

2026.03.19 (Thu)

ライフセービングとの出会い

私がライフセーバーの存在を知ったのは、小学生の頃に家族旅行で海へ行ったときでした。
黄色と赤のユニフォームを着て、海を見つめている人たちを見て「何をしているんだろう?」と不思議に思い、父に聞きました。
すると父は「人の命を守っているんだよ」と教えてくれました。
その言葉を聞いたとき、「かっこいいな」と感じたことを今でも覚えています。ライフセーバーになりたいと思ったのは、その瞬間でした。

父はライフセービングができる環境を一生懸命探してくれましたが、当時は海岸沿いのクラブチームしかなく、都内から通うことが難しかったため、一度は諦めることになりました。
そんな中、中学生のときに参加した高校説明会で、都内でもライフセービング活動ができる学校と出会います。
それが、立川にある昭和第一学園高等学校でした。
そして、説明会で一番印象に残った一言があります。
「あなたは大切な人を守ることができますか?」
人の役に立ちたいと思っていた私にとって背中を押す決定的な言葉となり、その日の夜、父に「この学校でライフセーバーになりたい」と伝えたことで、私のライフセービングの道が開かれました。

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人生の転機

昭和第一学園高等学校ライフセービング部では、2人の恩師との出会いがあり、私の人生は大きく変わりました。
お二人から学んだ言葉は、今でも私の人生の核となっている大切なものです。
1つ目は、クラブ創設者の恩師から教わった「ライフセービングスピリット」。
2つ目は、顧問であり担任教師でもあった恩師から教わった「当たり前は当たり前じゃない」という言葉です。

長くなってしまうので多くは綴りませんが、そこから学んだことは「想いやりを持つこと」です。
ライフセービングは単なるスポーツではなく、人の命を守る活動であり、その根底には常に相手を想いやる心があるということを、この3年間で学びました。
まだまだ未熟ではありますが、高校での経験は、私の人格形成の大きな土台となっています。

苦悩の大学時代

恩師のおかげもあり、私は東海大学ライフセービング部に入部することができました。
しかし大学1年生の際に、競技面で思うような結果を出せず、競技結果重視の顧問との価値観の違いに悩み、ライフセービングを続けるべきか本当に迷う時期がありました。
顧問から日本代表強化指定チームの辞退や所属クラブの移籍などを勧められることもあり、葛藤の日々でした。

そんなとき、支えてくれたのが先輩や同期の存在でした。
今でもライフセービングに向き合えているのは、周りの仲間の支えがあったからこそだと感じています。

今後について

ライフセービングを通して、私は本当に多くの方々に育てていただき、数えきれないほどの経験をさせてもらいました。
振り返ると、ライフセービングと出会えたことは、私の人生の大きな分岐点だったと感じています。
これまで私を育ててくれたライフセービングを、今度は次の世代へとつないでいく。
そして、想いやりにあふれた社会を少しでも広げていくことが、これからの私の目標です。

市川 巧基
Kohki ICHIKAWA

昭和第一学園高等学校ライフセービング部(11期)
東海大学湘南校舎ライフセービングクラブ(31期)
大磯ライフセービングクラブ

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