JLA English Site

JLA 30th Anniversary

九州におけるライフセービングの発展:藤田和人 宮崎県ライフセービング協会

2022.04.09 (Sat)

九州でのライフセービング歴史のスタートは1985年になります。福岡の神谷早苗氏(福岡市消防局)が日本ライフガード協会(以下JLGA)の講習を受講し、オーストラリアへライフセービング研修に行かれたことからはじまります。その後1986年 神谷氏により「JLGA九州支部」を登録。1989年 福岡にて開催された「アジア太平洋博覧会(百道浜・地行浜)」で海辺の警備・救命法普及活動を実施。1992年 神谷氏退職に伴い、東敏光氏(福岡市消防局)がトライアスロンガード等を引き継ぎます。1994年 東敏光氏がライフセービングの研修でオーストラリアへ。そして、1996年 九州で初となるライフセービングクラブ「福岡ライフセービングクラブ」設立(東敏光氏)。東氏について、我々は現在も「九州ライフセービングの父」と呼ばせていただいております。

その後、九州各県のライフセービングクラブが立て続けに発足します。1999年福岡芦屋ライフセービングクラブ発足(仲村幸則氏、後に玄海ライフセービングクラブに改名)。2001年宮崎サーフライフセービングクラブ発足(安藤輝明氏)。2002年大分ライフセービングクラブ発足(尾田智史氏)。2008年かごしま磯ライフセービングクラブ発足(山下丞氏)、宗像ライフセービングクラブ発足(齋藤秀雄氏)。2010年新宮ライフセービングクラブ発足(平田健太郎氏)。九州で初めての大学クラブ発足は2012年の九州産業大学ライフセービングクラブ(鈴木裕介氏)です。

 2000年に入ってから九州内でのライフセービング普及が加速した要因に、各地で立ち上がったクラブ代表者の横の繋がりができたこと、またクラブメンバーの相互交流ができるきっかけが始まったことがあります。その一つが2003年玄海ライフセービングクラブの仲村氏の発案で情報共有と人材交流を目的にネットワーク化された「レスキューアライアンス」です。玄海ライフセービングクラブ発足5周年記念式典で、西日本各地から集まったクラブ代表者間で行われました。そしてもう一つ。2004年に行われた九州初となるライフセービング競技会「チャンピオンライフセーバー選手権大会」(大分国東市)です。また同時に開催された九州では初となる代表者会議「ライフセービングクラブ西日本地区代表者会議」も行われました。国東市にある国立青少年自然の家に参加者みんなで宿泊し、前夜祭でのコミュニケーションでは、これまで地域クラブ内だけだったライブセービングコミュニティが拡張した瞬間でした。

 日本ライフセービング協会(以下JLA)という立場での九州内ライフセービング普及と発展については、九州在住者のJLAインストラクターの誕生が大きなきっかけとなりました。2007年に九州初JLAインストラクターの誕生(藤田和人、富岡正登氏)。そして翌年2008年『日本ライフセービング協会のミッションを正しく伝え、九州内におけるライフセービング活動を活性化させるために、登録会員間のネットワークを広めていくとともに管理し、また、新たなライフセービング組織設立の支援を行っていくものとする』を目的にJLA九州支部(藤田和人)が発足。同時に第1回JLA九州支部役員会議(鹿児島)を開催。その中で、「九州内でのライフセービング普及には代表者だけが集まるのではなく、各クラブメンバーが集える機会づくりが重要」という話しになり、同年に『第1回九州ライフセービング競技会(宮崎市青島)』が開催されました。

 更に九州ライフセービングシーンがネクストステージに上がったきっかけは、2015年に九州で初めて開催された『三洋物インターナショナルライフセービングカップ2015』(宮崎県宮崎市)です。九州内ライフセーバ―とJLA本部、各委員会との絆が深まり、その後の三洋カップ福岡開催、また各委員会への九州メンバーの委員就任へと繋がりました。その中でも2017年に開催された三洋カップ(福岡市)でのレセプション式典にて「九州ライフセービングの父」東敏光氏に功労賞をお渡しできたことは我々にとって大きな記念日となりました。長きにわたり、いつも寛大な心で見守ってくださり本当にありがとうございます。

 現在、県協会も各地で立ち上がり(福岡、大分、長崎、鹿児島、宮崎)この3年間は各地域内でのライフセービング普及に、それぞれが事業邁進してきました。数年前にジュニアだった人材が大学クラブへ進学したり、各種委員会へ委員就任したりと確実に次世代が育ち、未来へ繋がっています。「ONE九州」を合言葉に、自分の住んでいる県以外のことも思いながらライフセービングを普及できる環境。その土台は「インストラクターになる」ことで大きなファクターとなったように思います。これから次世代がどんどんインストラクターとなることかと思います。そして再び九州という括りでのライフセービング普及が必要になってきます。歴史は繰り返されます。この記事が各地域でのライフセービング発展の一助になれれば幸いです。これからの30年が楽しみでなりません。

 

寄稿:藤田 和人(ふじた かずと)

1996年~鎌倉サーフライフセービングクラブ、特定非営利活動法人宮崎ライフセービングクラブ

高校卒業後にニュージーランドへ単身ラグビー留学。カンタベリー大学でプレーしたが大挫折。ホームステイのお兄さんが地元でライフガードをされていて「宮崎も海があるなら、ライフガードを知ったお前はライフセービングをやるべき!」と勧められたことがきっかけでライフセービングをはじめる。

現在は、宮崎県ライフセービング協会 代表理事 / JLA九州・沖縄連絡協議会 副会長

 

皆さまからのご支援が
水辺の事故ゼロへつながります

皆さまからのご寄付はWater Safety教育の普及事業などに活用します