JLA English Site

私とライフセービング

Vol.59 – 中村 萌夏 / Moeka NAKAMURA

2025.02.03 (Mon)

ライフセービングに出会って23年、足を突っ込んで10年という短い時間の中。
「学生時代、どれだけライフセービングを楽しむかが鍵である」ということを伝えたいです。

(1)ライフセービングとの出会い

両親が日本体育大学ライフセービング部出身であり、全日本/インカレの応援やオフィシャルをする父親の迎えの影響で、自分の中では当たり前のように存在していました。
中学生の時、ユースの大会に出場した事を機にライフセービングに足を踏み入れました。

(2)大学4年間

①日本体育大学ライフセービング37期
両親の背中を追いかけて「日本体育大学ライフセービング部」に入部しました。
最近聞く「ユース上がり」「経験者」という言葉。同期は10人中8人がユース上がり。沢山言われてきました。
ボード乗れて当たり前、監視中に求められる事は多い、未経験として扱われない。コロナ禍前の輝かしい全日本を知っていながらも、全日本は大学チームとしては出場出来ない。
思い描いていたものとのギャップに苦しみながら、10人でスタートした事を覚えています。
大きな背中を見せてくれた先輩方を追いかけ、自分達に沢山の愛をくれた後輩達に恵まれ、喜怒哀楽全てを感じた4年間をでした。
今でも、大会に行けば誰かしらいるように、それぞれの関わり方で続けている自慢の同期です。

②第20期学生委員会 スポーツ委員長
今では「学生委員会だった人」と認識されることが多い自分ですが、実は日体大の同期と「友達がほしい/出会いが欲しい」という単的な理由で始まりました。
父親がオフィシャルをしている影響や、コロナ禍前の全日本を知っていたこともあり、コロナ禍から始まった大会に不満を持っていました。
大学4年間しか出場出来ない「インカレ」をどうにか盛り上げたい、価値ある大会にしたい、全ての人が楽しかったと思える大会にしたいという想いがあり、スポーツ副委員長/委員長を務め、その2年間は多くのことにチャレンジし、全力で挑みました。
自分にとって学生委員会はライフセービングの「ターニングポイント」でした。

主に挑戦したことは
入場演出/学生選抜リレー/ファイナリストキャップ/プール記録会の開催 など

(3)ユース/大学生に伝えたい

わがままに練習できる・チャレンジできる・仲間と嫌ほど一緒にいれるのは大学4年間です。
更に、大学を卒業してもライフセービングを続ける、普及へつながる活動をしたいと思えるのは「全力で大学4年間ライフセービングを楽しんだから」です。

自分の場合は、挑戦したことが学生委員会スポーツ委員長でした。
しかし、日本体育大学ライフセービング部の部員として練習不参加や、大会に出場しなかったことはありません。朝練習は誰よりも参加しました。
どちらも全力で取り組めたのは「大学生だったから」と社会人になった今すごく感じます。
その姿を評価して頂き、今の活動ができています。

だからこそ、ユース/大学生には「全力で大学4年間ライフセービングを楽しむ」ことを大切にしてもらいたいと伝えたいです。

最後に。

コラムを書いている今、部活を卒業する際に書いた卒業記念誌を読み返すと「ライフセービングを続ける」と宣言していました。
宣言したからには、両親のようにどんな形であってもライフセービングに携わり、この素晴らしい活動を1人でも多くの人に伝えたいです。

中村 萌夏
Moeka NAKAMURA

公益財団法人日本ライフセービング協会
スポーツ本部 スポーツ戦略委員会
学生本部 学生委員会 第20期スポーツ委員長

十文字中学・高等学校ライフセービングクラブ出身
日本体育大学ライフセービング部OG(37期)

白浜ライフセービングクラブ 所属
西浜サーフライフセービングクラブ 所属

皆さまからのご支援が
水辺の事故ゼロへつながります

皆さまからのご寄付はWater Safety教育の普及事業などに活用します