私とライフセービング
― ゴールの先に、救う命がある ―
18年間、海のある福岡県北九州市で育ったにもかかわらず、私は大学に入るまで「ライフセーバー」という存在すら知りませんでした。
そんな私が今では、夏になると海に立ち、冬には凍えるような海に入り、休日になれば海へ向かい、新入生を見ると頼まれてもいないのにライフセービングの魅力を熱弁しています。人生とは分からないものです。
「海、行ってみない?」から始まった
私は幼い頃から競泳を続け、高校3年生で初めて全国大会に出場しました。このまま大学でも水泳を続けたい。そう思っていたのですが、高校時代に勉強を少々、いや、かなり疎かにしていた辻少年は、見事に大学受験に全落ちしました。
そこから一年間の浪人生活。
ようやく大学に入学したものの、思い描いていたような形で競泳を続けることはできず、どこかやり場のない悔しさを抱えていました。そんな大学一年生の春、水泳サークルの新歓で一人の男と出会いました。現在も大学の同期であり、同じ浜で活動する仲間でもある、馬場直輝です。
彼から「ライフセービングの新歓、「いってみない?」と誘われたことが、すべての始まりでした。
それまでの私は、ライフセーバーという存在すらよく知りませんでした。ましてや、自分が毎週のように海へ通う大学生活を送ることになるなんて、想像もしていませんでした。それでも馬場に誘われるまま、先輩たちに連れられて海へ行きました。
初めて乗る波。
初めて触るレスキューボード。
ニーの仕方すら分からない私に、先輩たちは何度も教えてくれました。そして何より、プールとは違い、風、波、潮、天候によって毎日違う表情を見せる海が面白くて仕方ありませんでした。新歓の雰囲気も、先輩たちも、海も、とにかく全部が楽しかった。気がつけば、その日のうちにライフセービングを始めることを決めていました。
振り返れば、たった一人の同期からの誘いが、私の大学生活を大きく変えることになりました。
今思えば、ライフセービングは最初から、人とのつながりによって私のもとへやってきたのだと思います。
「日本一になりたい」から始まった
入部した当初、私の頭の中にあったのは、
「プールの大会で日本一になりたい」
「海で波に乗れるようになりたい」
「なんか楽しそう」
そんな理由ばかりでした。
恥ずかしながら決して、「人の命を救いたい」という立派な志から始めたわけではありません。それでも一年目の夏、実際に海水浴場の監視活動に入ったことで、ライフセービングに対する考え方は大きく変わりました。
海では、本当にいろいろなことが起こります。昨日まで穏やかだった海が、今日は全く違う顔をしている。同じ場所に立っていても、遊泳客の年齢も泳力も遊び方も違う。その一つひとつを見ながら、事故が起こる前に声をかけ、危険を取り除き、一日を無事に終える。
「ひと夏を無事故で終える」。
文字にすればたったそれだけですが、それがどれだけ難しいことなのかを初めて知りました。
そして気づきました。朝早くから泳いできたことも、ボードを漕いできたことも、砂浜を走ってきたことも、ただ大会で勝つためだけではなかったのだと。競泳をしていた頃、ゴールはいつも壁のところにありました。でもライフセービングでは違いました。
速く泳いだその先に、
速く走ったその先に、
速くボードを漕いだその先に、
守れるかもしれない命がある。
私にとって競技とパトロールが初めて一本につながった瞬間でした。。
楽しいだけでは、4年間も続かなかった。
そこからの大学生活は、決して余裕のあるものではありませんでした朝早くから練習をして、昼は大学で授業を受け、夜はアルバイト。地元福岡を離れて東京で一人暮らしをしていた私にとって、時間的にも経済的にも楽な生活ではありませんでした。
毎週末の大竹での練習。泣く子も黙る極寒の海でのレスキュートレーニング。夏を前に、独特の緊張感の中で何度も行うシミュレーション。思うような結果が出ない大会。思うようにいかないガード。特に就職活動と活動が重なった大学3年の夏前から4年の夏前にかけては、「一日は本当に24時間なのだろうか」と疑いたくなるような生活をしていました。何度もきついと思いました。
それでも、不思議と辞めたいとは思いませんでした。たぶん、ライフセービングが「楽しいだけの活動」ではなかったからだと思います。人の命に関わる責任があり、仲間から任される責任があり、自分が強くなることが誰かの安心につながる。そこには、ただ楽しいだけでは得られないやりがいがありました。
楽しいだけなら、ここまで続かなかった。
苦しいだけなら、なおさら続かなかった。
その両方があったからこそ、この4年間はこれほど濃いものになったのだと思います。
思い描いていた「最後の夏」が変わった
大学4年生。私はパトロールキャプテンを拝命しました。学生最後の夏。
これまで先輩方が守ってきた大竹海岸鉾田海水浴場を、今度は自分たちの代が中心となって守る。「最後の夏、やってやろう」そんな思いで準備を進めていました。
しかし、今年度の大竹海岸鉾田海水浴場は、海岸侵食や護岸の損傷によって安全な海水浴場運営が困難となり、非開設が決まりました。知らせを聞いたとき、すぐには受け入れられませんでした。
「今まで何のために練習してきたんだろう」そんな思いさえ頭をよぎりました。
毎週海へ通ったことも、寒い中で繰り返したレスキュー練習も、夏前のシミュレーションも。
自分たちが活動の中心としてきた海でパトロールができない。学生最後の夏を大竹海岸で迎えることを当たり前のように思っていた私にとって、それは大きな戸惑いでした。ただ、そこで終わるわけにはいきませんでした。パトロールキャプテンとして、そして何よりライフセーバーとして、自分たちにできることを考えました。
「大竹で活動できないのであれば、必要としてくれる場所へ行こう」
そこから、同期やクラブの社会人の方々にも力を貸していただきながら、様々な海岸やクラブの方々へ連絡を取り、今夏、自分たちが活動できる場所を探しました。決して自分一人の力ではありません。これまでクラブが築いてきたつながりや、社会人の方々のご縁、同期の協力。
多くの方々が動いてくださった結果、最終的には7つもの浜が私たちを受け入れてくださいました。活動する場所が定まらず、不安を抱えていた私たちに手を差し伸べてくださった皆様には、感謝してもしきれません。
そして、この夏は私にもう一つ大切なことを教えてくれました。いつも活動してきた場所を離れたことで初めて、ライフセービングという活動が、想像していた以上に多くの人と海によってつながっていることを知ったのです。それぞれの浜には、それぞれの海があり、文化があり、考え方があり、そこで海を守り続けてきた人たちがいました。
普段であれば出会うことのなかったライフセーバーと同じタワーに立ち、同じ海を見て、同じ目標に向かって活動する。ライフセービングをしていなければ、一生訪れることすらなかったかもしれない場所が、仲間との思い出が詰まった大切な場所になりました。思い描いていた形とは違う夏になりました。
けれど振り返れば、自分たちの活動する場所が変わったからこそ、これまで見えていなかったライフセービングの広さと、人とのつながりの温かさを知ることができた夏でもありました。
一人では、海を守れない
4年間活動してきて強く感じることがあります。ライフセービングは、一人ではできません。パトロールでは、一人がどれだけ泳げても海を守ることはできません。沖を見る人がいて、浜を見る人がいて、状況を伝える人がいて、救助へ向かう人がいて、その後の処置をする人がいる。そして、その活動を支えてくださる社会人の方々、先輩、後輩、同期、家族がいます。私自身、幸運なことに、これまで重大な水難事故の現場に直面したことはありません。ただ、それは「自分は大丈夫」という理由にはなりません。むしろ逆だと思っています。その瞬間は明日来るかもしれない。
だから、いつ来ても対応できるように準備する。そして何より、その瞬間自体を起こさないために、海を見る。人を見る。声をかける。救助することだけがライフセービングではありません。救助しなくて済む一日をつくることも、ライフセービングなのだと今は思っています。だから私は、今日も泳ぎます。走ります。ボードを漕ぎます。
大会で勝つためでもあります。
でも、それだけではありません。
ゴールの先に、救う命があることを信じているからです。
江の島に行けば、他大学・他クラブの仲間がいる。多摩川に行けば、一緒に競い合える仲間がいる。大竹に行けば、信頼できる同期、先輩、後輩がいる。気づけばライフセービングは、海で行う一つの活動ではなく、私の人生にたくさんの人をつないでくれる存在になっていました。
「大学最後」は、「最後」ではない
大学4年生になり、「最後」という言葉を使う機会が増えました。大学最後の夏。大学最後の大会。大学最後の練習。少し寂しくなる言葉です。
でも最近、あることに気づきました。そのすべてには、「大学」という言葉がついています。
「大学最後のライフセービング」であって、「最後のライフセービング」ではありません。
ライフセービングの魅力の一つは、年齢や性別、職業にかかわらず、それぞれの立場、それぞれの方法で関わり続けられることだと思います。
競技をする人がいる。
海を守る人がいる。
救命を教える人がいる。
水辺の安全を子どもたちに伝える人がいる。
環境を守る人がいる。
誰もが水辺を楽しめる場所をつくる人がいる。
方法は違っても、その根底には「誰かのために」という思いがあります。私自身、競技者としては第15期HPTへの選出、そして2028年のLWCへの出場を目標にしています。また教育の面では、BLS、ウォーター、サーフの指導員資格を取得し、自分が先輩方から教えていただいたものを、今度は次の世代へ伝えられる人になりたいと思っています。
来年からは社会人になります。どのような生活になるのか、どんな人と出会うのか、今はまだ分かりません。これまでのように毎週海へ行くことは難しくなるかもしれません。それでも、ライフセービングから離れるつもりはありません。競技でも、教育でも、救命でも。そのときの自分にできる形で、この活動に関わり続けたいと思っています。
私とライフセービング
毎年、新入生を海へ連れて行くたびに思うことがあります。初めてボードに乗る後輩。初めて波に乗って、子どものように笑っている後輩。そんな一人ひとりに、「ライフセービングって本当にいいぞ」と、ついつい熱く語ってしまいます。そして毎回、自分でも思います。
「自分は、本当にライフセービングが好きなんだな」と。
4年前。ライフセーバーの存在すら知らなかった北九州の少年は、大学でたまたま一人の同期に誘われて海へ行きました。あの日、馬場に誘われなければ。あの日、海へ行くという選択をしていなければ。出会わなかった人が何人いるだろう。訪れなかった場所がいくつあるだろう。
経験しなかった喜びや悔しさが、どれだけあるだろう。
そう考えると、ライフセービングに出会えたことそのものが、私にとって大きな財産です。そして、そのきっかけをくれたのも人なら、4年間続けてこられたのもまた、たくさんの人のおかげでした。
この活動は、人の命と向き合う活動です。だからこそ難しく、責任があり、ときには苦しい。でも同時に、自分のためだけではなく、誰かのために頑張ることの喜びを教えてくれる活動でもあります。私は、そんなライフセービングが大好きです。
これから先も、速く泳ぎたい。もっと強くなりたい。もっと多くのことを学びたい。それはきっと、自分のためだけではありません。
「ゴールの先に、救う命がある。」
そう信じながら、これからも私はライフセービングを続けていきます。
早稲田ライフセービングクラブ所属
大竹サーフライフセービングクラブ所属
2026年度大竹S.L.S.C.パトロールキャプテン














