JLA English Site

私とライフセービング

Vol.96 – 坂本 卓馬 / Takuma SAKAMOTO

2026.09.04 (Fri)

私とライフセービング

ライフセービングとの出会い

学校の体育の先生になりたくて、日本体育大学に入学した。高校まで野球を続けていたため、その経験を生かそうと野球部の学生コーチを考え、見学にも行った。しかし、なんだかピンと来なかった。

そんなモヤモヤを抱えていたとき、ライフセービング部から勧誘を受けた。活動は週3日程度で、そのうち週1回は自宅から近い江ノ島。そして夏休みは、監視活動をしながらお金ももらえる。

「ライフセービングは誰でもできるよ!」。その一声で決まった。

そんな浅いところから、私のライフセービングは始まった。

「ライフセービングって、何だろう」

大学や所属クラブである神津島ライフセービングクラブでの活動が始まって1年。正直、ライフセービングが楽しいと心から思うことは少なく、やめようと思ったことも何度もあった。救助活動や競技に向けたトレーニングばかりの日々に、面白さを感じられなかった。

一方で、頭から離れなかったのが、入部のきっかけとなった「ライフセービングは誰でもできる」という言葉だった。

「今やっていることは、本当に誰でもできるライフセービングなのだろうか」。

そんな違和感を抱えていた。

その頃、東京都北区の中学生を対象に、千葉県岩井で行われている臨海学園に参加する話をいただいた。先生を目指していた自分にとって、「教育」に関われることに魅力を感じ、参加を決めた。

そこで出会ったのは、会社で働きながら活動を続ける社会人ライフセーバーたちだった。「ライフセービングは誰でもできる」という言葉を体現する姿や、日体大のOBOGが目を輝かせてライフセービングを語る姿が印象的だった。

「もう少し続けてみよう。何か見えるものがあるかもしれない」。

そう思うきっかけになったのが、岩井臨海学園だった。

オーストラリアで見つけたもの

岩井での出会いをきっかけにライフセービングに夢中になり始めた大学2年生の私は、「せっかくなら本場のオーストラリアに行ってみよう」と考えた。

何のつてもなく、パスポートと心許ない中学英語だけで現地へ向かった。宿から一番近かったSurfers Paradise SLSCに飛び込むも門前払い。それでも数日通い続け、ようやく練習に参加することができた。

しかし、荒れ狂う波に立ち向かうことで精一杯の私に対し、その波を難なくこなすオージーたち。結局、何を学んだのか分からないまま、最初のオーストラリアの旅は終わった。

何もつかめなかったことが悔しく、翌年も同じ場所を訪れた。すると、一年前はほとんど話しかけてこなかった仲間たちが、私がまた来たことを大歓迎してくれた。一緒に食事をしたり、ドライブに行ったり。言葉の壁はあったが、「また会いに行った」ことが関係を変えてくれたのだと思う。

うまくいくかどうかではなく、続けることで見えてくるものがある。ライフセービングのスキル以上に、人として大切なことを彼らから教わった。そして、そうした人とのつながりや文化こそが、オーストラリアでライフセービングが社会に根づいている理由の一つなのではないかと感じた。

その後も定期的に会いに行き、日本に来たときには一緒に旅行をするような仲になった。この出会いは、今でも私が一番誇りに思っているライフセービングのエピソードである。

教師になって、二つの世界がつながった

大学卒業後、昭和第一学園高等学校に赴任した。体育教師として働きながら、ライフセービング部の顧問を務めた。この学校を選んだ大きな理由の一つが、クラブ創設者である丸田先生のもとで「ライフセービング教育とは何か」を肌で学びたかったからである。

競技会に向けたトレーニング、夏の神津島での監視活動、学校周辺の小学校で高校生が小学生にライフセービングを教える活動。そこには、競技だけではない多様なライフセービングとの関わり方があった。

大学時代から抱えていた「ライフセービングは誰でもできるとはどういうことか」という問いに、一つの答えが見えた気がした。

そこで出会った生徒たちは、卒業後もさまざまな場所で活躍し、今でも一緒に監視活動をすることがある。教師として、これほどうれしいことはない。

そして昨年、昭和第一学園ライフセービング部の部員たちをオーストラリアに連れていき、私が大学時代からつながってきたSurfers Paradise SLSCと交流する機会をつくることができた。

かつて何のつてもなく一人で訪れた場所に、今度は教師として生徒たちを連れていく。自分がもらった出会いやつながりを次の世代へ渡すことができたことは、とても感慨深い出来事だった。

ライフセービングが根づく社会へ

昭和第一学園を退職した後は、静岡の母校に勤務した。ライフセービングクラブをつくることは叶わなかったが、海という環境を生かし、地元のサーフショップと連携してマリンスポーツ実習を行った。SUPやカヤックを楽しみながらウォーターセーフティーを学ぶ中で、ライフセービングそのものを教えなくても、水辺の安全を学ぶ方法があることに気づいた。

現在は広島県の小学校で教員をしている。ライフセービングがまだあまり普及していない地域で、新たなあり方を模索している。学校プールの廃止やスイミングスクールへの外部委託など、水泳教育の環境が変わる中、ライフセービングやウォーターセーフティーを学校や社会にどう合わせていけるのかを考えている。

そのため、ライフセービングだけでなく、他教科や海外の教育についても学んでいる。現在関心を持っているオランダには全国共通の水泳ディプロマ制度があり、安全に楽しむための力を国や社会全体で身につけていく仕組みがある。そこにも、これからの日本へのヒントがあると感じている。

私が目指したいものは、「学校教育の中にライフセービングを入れること」そのものではなくなった。

学校教育を一つの入口として、子ども、先生、家庭、地域へとライフセービングの考え方が広がり、自然に根づいていく。そんな社会の土壌をつくりたい。

そのために現在、日本ライフセービング協会教育本部の学校教育推進員として活動しながら、各方面で教育について学び続けている。

大学時代、辞めようと思っていた私をライフセービングにつなぎ止めてくれたのは、人との出会いだった。岩井、オーストラリア、昭和第一学園。一つひとつの出会いが、私のライフセービング観を広げてくれた。

だから今度は、私がそんな出会いをつくる側になりたい。

ライフセービングが、もっと多くの人の日常に自然と存在する社会を目指して、これからも学び、走り続けたい。

坂本 卓馬
Takuma SAKAMOTO

日本ライフセービング協会 教育本部 学校教育推進委員
サーフインストラクター
神津島ライフセービングクラブ
日本体育大学ライフセービングクラブOB

皆さまからのご支援が
水辺の事故ゼロへつながります

皆さまからのご寄付はWater Safety教育の普及事業などに活用します